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宗因との出会い、禅者芭蕉読本⑫

 芭蕉総合年表によれば、宗房(芭蕉)は寛文12年(1672)春、29歳の時に江戸に下り、二年後の春、延宝2年(1674)に伊賀上野へ初の帰郷をしている。

三月には北村季吟より俳諧論書「埋木」を授与され、師弟関係が成立したのではと、推察される。

この年は各地で風水害により大凶作の記述もある。

翌年の延宝3年(32歳)、江戸来遊中の西山宗因歓迎百韻で始めて桃青の俳号を使用。同年、杉風・其角・嵐蘭が入門、江戸蕉門誕生が想定される。

この年、廣岡宗信編「千宜理記」に伊賀上野宗房名で発句6句入集。「五十番句合」(内藤露沾判)に発句2句入集。

翌延宝4年(33歳)親友山口素堂と「江戸両吟集」を出版。

同年6月、伊賀上野に二度目の帰郷。7月2日まで滞在して、桃印(甥)を同伴して江戸にもどる。

7月、花樂軒蝶々子編「当世男<いまようおとこ>」に発句3句、付け句3句入集。

12月、北村季吟編「続連珠」に松尾氏本住伊賀、号宗房桃青として6句、付け句4句入集。

延宝5年(34歳)この頃、俳諧宗匠として立机。

以後四年間、水道工事監督に従事。

秋、「芭蕉杉風両吟百韻」出版。11月、去来、父、墓参のため真如苑からの帰路、農夫を襲った猪を一刀のもとに斬殺。

閏12月、内藤風虎編「六百番俳諧発句合わせ」に松尾桃青の名で20句入集」。



「三日月の頃より待ちし今宵哉」月岡芳年「月百姿」松尾芭蕉

 

延宝6年(1678)(35歳)三月、伊藤信徳・山口素堂と三吟百韻3巻を「江戸三吟」として出版。

七月、二葉子編「江戸通り町」に歌仙一巻と付け句5句掲載。岡村不木編「江戸広小路」に発句17句、付け句20句入集。八月、池西言水編「江戸新道」に発句3句入集。

以上が寛文12年(1672)(29歳)春(2月?)に初めて江戸に下ってより、延宝6年(1678)(35歳)八月までの宗房約六ケ年の年表の記述である。

「十八番発句合」には「延宝六初冬日 坐興庵桃青」とした署名の下に、「素宣」の印が用いてあり、延宝六年十月以前に素宣と称し、二度目の江戸滞在中には、すでに出家していたことがあきらかであるとする伝記もある。

後年「ある時は佛籬祖室(ぶつりそしつー仏祖の道)のとぼそー門 に入らむ」との記述があり、江戸滞在早々、すでに出家の念が往来していた、と、している。

しかし、事実、深川大工町臨川寺の碑文から類推して、当時の深川臨川庵で仏頂禅師に参禅を開始するのは、宗房(当時37歳)が江戸市中から深川の草庵に移る延宝8年冬のことになる。

延宝3年5月、折から東下中の西山宗因を迎えて、催された俳諧の席で、宗房は桃青と名乗って出座した。  

宗房と宗因の関係は、伝えられているところでは、市村竹之丞座の芝居で初めて出会い、ある人が「子はまさりけり竹之丞」という句の上五文字を置きかねていたところ、宗因が「おや々々」、と冠してやったので、宗房が大いにその奇才を讃嘆したという。

しかし、これは文献的には確証のない話で、若い時に宗因と九州旅行をしたなども同様に、有り得ない話である。とされている。

談林派唱道者西山宗因死去は天和2年(1682)で、宗房39才、宗因享年78歳である。 
註)
西山宗因
江戸前期の連歌師・俳人、談林派の祖。諱は豊一(とよかず)俳名は一幽・西翁・梅翁など。肥後八代城主加藤正方の陪臣。連歌を里村昌琢に学び浪人して連歌師となり、後に転じて別風を興し、門下に西鶴をはじめ多数の俳人を輩出。編著「宗因連歌千句」「天満千九」など。(1605〜1682)

杉山杉風(1647〜1732)
江戸中期の俳人。芭蕉十哲の一人。通称、鯉屋市兵衛。号、採茶(さいと)庵・五雲亭・蓑翁。江戸の人。初めは談林調。芭蕉の後援者として新風開発の土台を築いた。著「常盤屋之句合」「杉風句集」など。

(三重四日市禅会俳句部)

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秋の名古屋禅道場坐禅会(摂心会)のおしらせ
平成291019日()より1022日(




初心者大歓迎☆


社会人のための禅道場、人間禅名古屋道場では、恒例の第7回摂心会(坐禅会)を開催します。
臨済宗の正脈の師家を拝請し参禅(独参)して古来からの公案によって転迷開悟を図ることが出来る摂心会で、一般社会では単なる座禅会と認識されていますが、正脈の師家への独参できる会は、東海広しと言えども我々在家の禅「人間禅」だけであります
老若男女、サラリーマン、学生さんから主婦、年輩者まで、座禅は初めてと言う方にも親切に、初歩からご指導致します、お気軽にご参加、お待ち申し上げます。
 
初めての方の参禅とは!
我々人間禅の名古屋担当師家・金剛庵要道老師が11人面談の上、参禅願を提出し独参を許されると公案を頂きその見解を呈して、その深浅邪正を判別して指導を頂 きます。

日時:平成29年10月19日()1900
       ~10月22日()1200まで
場所:名古屋市西区中小田井一丁目377番地 
    善光寺別院願王寺 書院明光閣   
師家 人間禅師家 金剛庵粕谷要道老師
提唱   十牛の図

講演  10月21日(土)午後14時〜16時(質疑応答・数息観実習を含む) 

 「ドリームマップと禅」 講師 三輪夢遊(裕子)氏


交通:鉄道〜

名古屋駅より名鉄犬山線にて中小田井駅下車南東へ徒歩3分。
お車〜
・江南線を北へ向かい八筋町交差点を左折。

中小田井郵便局を過ぎコンビニの交差点左折線路をくぐり、
 

突き当り右折150m左側。

・国道22号線、古城交差点北東へ(岐阜方面からお越しの方は左折、名古屋方面からお越しの方はは右折)中小田井4交差点を右折線路をくぐって突き当り右折約150m左。

費用  
参加費:期間中2000円(4日間通して出入り自由)      

       食費:1400
      施設利用料:500円(宿泊希望者のみ)


申込、お問い合わせ先
広瀬 :携帯090-4250-0542
蓑輪 :携帯090-1560-6881 E-mail 
seirin1105@gmail.com
 

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 セロトニン合成に有効な食事とは?坐禅と最新脳科学㉑

 精進料理とはいわゆる、肉、魚介類を用いない植物性の食物。
野菜類・穀類・海藻類・豆類・木の実・果実など、精進物のみを用いた料理をいうわけですが、この精進料理を妊活子宝カウンセリングやアンチェイジンングのための漢方の一環としても見直すことにして、、“カラダ年齢マイナス
10歳!!とのキャッチフレーズで、この精進物料理、一汁一菜(副菜)蛋白源(主に大豆類)穀物(おかず)で構成する和食(日本伝統食)を最近顧客の方がたに推奨しております。
 在家禅の修行者として、大学の禅サークルに所属していた学生時代から半世紀になろうとする現在、後段で詳しくお話ししますが、この和食は最新脳科学でも注目されています、和食と禅の関係についても今更ながら目から鱗で真剣に見直しております。

従来よく耳にしたことですが、例をあげますと、栄西禅師によるお茶の木の日本への招来、一休禅師の大徳寺納豆の考案、永平寺の胡麻豆腐、漬物の元祖、沢庵和尚の沢庵漬などがまずあげられます。

道元禅師は若くして、単身中国にわたり、天童山の如浄禅師より曹洞宗の法を日本へ伝来されたのですが、帰国早々の嘉禎三年春、宇治興聖寺で永平大清規撰述の際、巻頭に「典座教訓」(てんぞきょうくんー食事係りの心得)一巻を収めて、禅寺での規則のなかでも、食事と食事係りの重要性を説いておられます。
 

お茶と禅の関係では茶道の祖、村田珠光、武野紹鴎、千利休居士らは大徳寺の一休禅師や南宗寺の大林宗套禅師に参禅して、茶の薬用効果から出発した喫茶の習慣を、日本文化の一芸能の道、「茶の湯」として大成しています。


 

平成十五年キレる脳・鬱の脳をきたえ直す「セロトニン欠乏脳」、平成二十年発行文献「坐禅をセロトニン神経から読み解く」を著作された医学博士有田秀穂先生は前書の「第9章サプリメントには手を出すな」、の章で、「セロトニン合成の材料はトリㇷ゚トフアンです。
 

トリㇷ゚トフアンは必須アミノ酸で、体内ではつくられません。食物から摂取するほかありません。」と述べておられます。
 

トリㇷ゚トフアンを多く含む食物は、バナナ、納豆などの大豆製品、チーズなどの乳製品です。

これらの食物を意識して摂るように心がけるとセロトニン合成が活発になり、セロトニン神経は働きをを十分に発揮できるというものです。

また、食べ物の組み合わせも、脳内でのセロトニンの合成には重要になります。
 

食物から摂取されたトリㇷ゚トフアンは血液を介して脳内へと入りやすくするには、炭水化物中心の食事がよいとされています。

食物にタンパク質が多く含まれると、トリㇷ゚トフアンの脳内への取り込みが悪くなることがわかっています。
 

そして、米、麺類、パンなどの炭水化物中心の食事が、脳内セロトニン濃度を高めるには好都合となります。

しかし、こうした食材だけをとっても、食材と修行が組合わせられていないと、当然セロトニン合成を増やすことにはならない。
 

この講演の最初から縷々申しあげている坐禅や数息観、武道の呼吸法、心身のリズム運動など、いわゆる修行として不断に継続することが求められるのです。




(西岐阜静坐会主宰・前岐阜洞戸坐禅道場長・日本中医薬研究会会員・葛西松堂講演より)

 
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自分の禅道場を熱海に造りたい、周黄玉禅子講演②
 

私が日本に来るきっかけを作ってくれた友人が東京都内で中華料理屋を営んでいるのですが、そこを訪ねた時に主人と出会いました。
「坐禅をしているそうですね?」と聞かれ、「はい、そうです。」と答えたところ、「是非私も参加できないでしょうか?」と聞かれたので、日曜の朝の坐禅会を紹介しました。

それからというもの、毎週日曜の朝の坐禅会に彼も参加するようになり、それが縁で現在に至りました。

結婚して擇木道場から歩いても僅かな処にマンションを借り、毎朝五時前に家を出て2炷香の静坐をし、一旦家に戻るのですが、そうすると夜勤を終えて帰宅する主人と同じ時間になります。

夕食は主人が出勤する前の4時半頃に一緒にとります。そうすると、火曜や金曜の夜の坐禅会、水曜の茶道の稽古や摂心会にも支障なく参加する事が出来るので、とても都合が良かったのです。

とにかく、結婚後も毎日擇木道場に行き、坐禅を続けていましたが、家が少々手狭く、毎月家賃を払い続ける事がとても無駄に思え、日暮里にマンションを購入しようと思ったことが新たな局面を迎えたのです。

丁度、建設中の新築のモデルルームを見学していた時、主人が私に言いました。
 

「本当に、ここでマンションを買うつもりなの?」私はその言葉を意外に思いました。

意味が解らず、真意を正すと、「ここを買うと、俺の一生がここで終わるのかと思うと、やはり俺は嫌だな。」とのこと。

「じゃあ、今の処にそのまま住むの?」と聞くと、「お前がそうしたければ、とめないが、俺はでていくよ。」という信じがたい話でした。

「出ていくって、何処かにあては あるの?」と聞くと 、「何処か暖かい処のお寺に行って、無職でいいからおいてもらって、寺の使用人として働かせてもらうよ、それもいいだろう。」

「本気で言ってるの?暖かかい処ってどこ?」「九州か沖縄だな。でも、さしずめ、近場なら、熱海だな。」この人・・・何を考えているのだろ・・・と思いつつも、喧嘩をしても仕方がないので、気分転換も兼ねて主人の次の休日に熱海に行ってみようということになりました。

その日が来るまで、住む家の事で主人と話しました。私は、マンションを買って、茶室を作ってもらい、坐禅と茶道が続けられたらというのが夢なのだと自分の思うことを伝えました。

中国ではお寺も本当に少なく、それがやっと、擇木道場と出会い、茶道も習い始めたばかりなのに、私はとても困る、と主人に話しました。



  
有楽流茶道の袱紗捌きを習う周黄玉禅子、右は中国の港町で、下、坐禅会の
禅堂で


 

すると主人は「自分で自分の場所を作ったらどうだ、少し発想を変えてみたら?」と思ってもみないことを言われ、びっくりしましたが、確かに中国では無理でも、日本では、やろうと思えば、何でも出来るのでは⁉という考えが私の頭の中に広がりはじめ、考え方は色々あるものだと、とにかく、休日を待って熱海に行ってみようという考えに変わりました。

私はこれまでも、何度か日本に来た時に、熱海で長期宿泊をして、そこを拠点にして、箱根や富士山、伊豆に行き、例えば河津桜の写真を撮りに行ったりしていました。そうすれば、いちいち荷物を持たなくても、カメラと必要なものだけを持って移動できるのです。

そんな方法で行動していましたので、おそらく、実は主人以上に熱海の事はよく知っていると内心自負していました。

全くそんなことを知らない主人は、「どうだ、熱海はいいだろう?気候も温暖で空気も綺麗だし、どうだ!新天地は!?

なんて、気楽な人だろうと思いながら不動さん屋さんを何軒か、覗いてみました。

熱海は空き家率が日本一だそうで、開発済みの建売住宅の分譲地も出ていて、おまけに、もともと保養寮として使われていた物件や、リゾート用マンションなどの中古物件も多く東京などとは異なり、買い手市場でこちらが選べることも知りました。

自宅に帰り、主人に言われていたことを頭の中で整理しました。

やはり、私が求めていることは、坐禅でした。

禅の道を究めるということではなくて、できれば、食生活とともに、一人静かに坐る場所、それも、好きな時に好きなだけという自己自身の気持ちを再確認しました。

自分で道場を持つということは、また、違う世界も見えてくるかもしれないという気持ちもだんだん強くなっていき、次に熱海を訪ねた時には、明確に道場として使えるという条件で不動産屋さんを訪ねました。

すると、15畳の部屋と茶室のある中古物件が見つかりました。

これを自分の道場にしようと考えたのでした。

講演 Everyday ZEN in ATAMI (今日は坐禅始めて何日目?)より

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秋の岐阜洞戸坐禅道場
坐禅と掃除の会ご報告


岐阜洞戸坐禅道場での8月のオール東海女性部、俳句部合同摂心会からほぼ二か月がたちました.
喧しかった蝉しぐれが何時の間にか止み、コオロギや鈴虫が夜のしじまの主役にとって代わっています。地球に昆虫が出現したのが4億年前で、私達霊長類はたかだか二千数百万年前だとのこと。

言葉を持ち道具を作り文明を築き上げた点で、人は生物の世界で頭一つ抜け出る存在になった。

しかし一方、地球にとっては実にはた迷惑な存在になってきたようです。かけがえのない☆である地球を汚染破壊に導き、同じ種の間で数百万という数の殺戮をなすのは人類のみであるとさえいわれています。

ここ岐阜洞戸坐禅道場はまさに別天地で、摂心会や坐禅会行事の予定がない平日は山野草が繁茂し、昆虫や鳥獣戯画の悠久の想いに耽らせる世界です。

事実、雨戸を開けて入った隠寮の押入れでは亀虫が大発生していたり、朝起きてみると、枕元の畳に蜈蚣が這っていたなど、茶飯事です。

今年の夏はエルニーニョ海流の影響と地球温暖化異変で世界的には巨大ハリケーンや台風の襲来、日本各地ではなぜか亀虫が大発生との報も。
 

そんななか9月29日午後13時より16時の時間設定で開かれた坐禅と掃除講話の会、平日の午後というので、やや集まりがよくなかったのですが、渡辺玉蘭岐阜坐禅道場長(岐阜禅会長)とオール東海掃除担当講師川口玉風禅子のお骨折りにより、「岐阜洞戸坐禅道場第2回坐禅と掃除の会」として無魔円了しました。


次回の洞戸坐禅道場での参禅会(坐禅会)は新年、平成30年1月17日(水)〜21日(日)の予定です。初心の方、ご家族でご参加大歓迎です!!岐阜禅会一同お待ちしております。

 


 ひとときのこの世の極楽、秋の風情紛々岐阜洞戸坐禅道場♥♥コレぞお掃除の極意!!です、下のスナップ写真もご笑覧下さいませ。撮影ー川口玉風、亭主ーおサルのジョージ?正客ーソフトバンク白土家のシロー君!招待客ー天津風の洞戸雉子さん?因みにお菓子は禅会長御手製の吉備団子かナ〜(陰の声「ウルサイ!そんなヒマはない!お前たちも、出て来て手伝えヨ!」)。お点前ー渡辺玉蘭でした。






 

            岐阜禅会長よりお知らせ
 

以下、岐阜禅会・豊橋禅会の今後の参禅会予定です。

1129日〜12/3(豊橋禅会)

1月17日〜21(岐阜・豊橋禅会合同)

2/283/4(岐阜禅会)

4/114/15(剣道部合同)

(岐阜禅会・岐阜洞戸坐禅道場IT担当)

 

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「お 経 に 学 ぶ 」


 
 

平成291111日(土)に開催される女性部主催の

読書会について、ご案内申し上げます

現在、『勝鬘夫人の告白』小野円照老師著を読み進めております。

「勝鬘経」について

古代インドの王妃である勝鬘夫人が大乗に帰依する誓願を立てられ、これを実践された

様子を自ら告白されたものです。しとやかに説いている中に、不退転の決意が滲み出て

いて、深く味わうほど恐るべきものがあります。   (本文より)

次回は p.170「八種の聖諦」に入ります。一度しかない人生を楽しく自由に、しかも悔いなく送るにはどうしたらよいか? 『勝鬘夫人の告白』を読みながら皆で考えてまいりたいと思います。

 読書会には毎回 葆光庵老師が出席され、禅の真髄に迫るお話しを伺うことができます。  

  女性に限らず男性の方でも、初めての方でもどなたでも 気楽にご参加いただけます。   多くの方のご参加を心よりお待ちしています!!

        午前   8:30         受付
午前  8:45~9:45   読書会

 会  費 :1000円(テキスト代を含む)を申し受けます。

   連絡先 :進藤慧玉(090-5323-5307  email : chieko-s@sj9.so-net.ne.jp

  場  所 :人間禅擇木道場(TEL03-3823-7647) 日暮里駅南口3分

 次回は p.170「八種の聖諦」に入ります。一度しかない人生を楽しく自由に、しかも悔いなく送るにはどうしたらよいか? 『勝鬘夫人の告白』を読みながら皆で考えてまいりたいと思います。

 読書会には毎回 葆光庵老師が出席され、禅の真髄に迫るお話しを伺うことができます。  

  女に限らず男性の方でも、初めての方でもどなたでも 気楽にご参加いただけます。   多くの方のご参加を心よりお待ちしています!!
       午前   8:30         受付

午前  8:45~9:45   読書会

 会  費 :1000円(テキスト代を含む)を申し受けます。

   連絡先 :進藤慧玉(090-5323-5307  email : chieko-s@sj9.so-net.ne.jp

  場  所 :人間禅擇木道場(TEL03-3823-7647) 日暮里駅南口3分
 

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 禅フロンティア日本文化研修道場
第61回禅フロンティア1111日(土)
国際化を吟味する
国際化は多様な価値観を許容すること

 

今、国際化とは?

 
 秋山武清先生は現役時代には青山学院大学経営学部でビジネスコミュニケーション、実用英語の教育と研究に携わっておられましたが、父親が80歳になったときからは両親と同居するために生まれ故郷の神栖市に戻られ、高速バスで勤め先の青山学院大学まで通勤されました。そして退職後は地元の神栖市国際交流協会を中心としたボランティア活動に力を入れて10年以上の活動をしてこられています。今回のフォーラムでは、先生が続けてこられた国際化に関するボランティア活動の実践を踏まえて地域の国際化を事例的に吟味していただきます。
 
 「国際化」とは多様な価値観の存在を許容し、これと共存共生する社会になることであり、物と人と企業活動などの相互交流を意味する「国際交流」をいくら拡大しても必ずしも国際化にはならない。ましてや単なる西洋化、アメリカ化を国際化と呼ぶことはできない、と言うのが先生のお話の大事なポイントです。真の国際化を実現するために我々はどのような筋道で行動していけばよいのか、その点をこのフォーラムでは先生のお話をお聞きしながら皆で考えていきたいと思います。
 
*秋山武清 青山学院大学名誉教授 茨城県神栖市生まれ。年老いた両親と同居して古郷の神栖市から都内の青山学院まで通勤したが、退職後は神栖市国際交流協会のボランティア活動に力を入れている。
    司会: 田谷日輪 神栖市で事業経営しながら、坐禅の修行にも邁進中。( 禅修行歴9年)
 
 
 
 我々の禅会では坐禅の修行を通じて皆が仲良く暮らす世界を作っていくことが一つの目標になっています。それぞれの民族がそれぞれの文化を持っています。互いに信じる道はあるいは違っているかもしれないがそれでもお互いに尊敬の念を持って、合掌しあいながら仲良く共生できる社会を作っていく、その禅の理想はまさに国際化の理念と重なるのではないでしょうか。
 
最後に座禅の時間も設けてあります。人間禅の師家(老師)に直接禅の話を聞く時間も用意してありますので、そちらにもどうかお気楽に参加下さい。
 
【費用】 2,000円 ※初めて座禅をされる方は指導料として別途 500 円(テキスト代含)。
 【場所】 人間禅擇木道場 日暮里駅南口徒歩3分


110-0001 東京都台東区谷中7-10-10 TEL:0338237647 FAX:0358155921


【連絡先】HP zenfrontier.org からお申込み願います。お気軽にご質問ください。 


担当:田谷比佐志 携帯 090-3068-9601 PCアドレス taiyakan@rose.ocn.ne.jp

 

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秋季人間禅本部摂心会(坐禅会)


 


本部摂心会準備作務


  1022日(日) 午前9時~12


  ※近隣支部の方は参加願います。


 


.第123回秋季本部摂心会(坐禅会)


師  家 葆光庵丸川春潭総裁老師


講  本 『新編碧巖集抄』


場  所 千葉県市川市国府台、本部道場


期  日 1028日(土)結制~114日(土)円了


結制日 午後2時集合準備作務 午後7時結制茶礼


円了日 午前6時半参禅 終了後円了茶礼


       提唱 総裁老師


          1029日(日)馬祖不安 1030日(月)万法帰


1031日(火)体露金風 111日(水)(放参日)


11  2日(木)法話 報慈庵老居 11  3日(金)新作提唱※提唱・





法話共、午後7時からとなります。


3.常任法務会


期  日 114日(土)午前830分~1030


場  所 南寮会議室


4.追憶尋思式・納骨式及び追憶座談会


期  日   114日(土)午前11時 開式


場  所   禅堂


追憶座談会  午後1215分~230


5.70周年記念行事実行委員会並びに支部長・禅会長会議


期  日   114日(土)午後3時~5     所 禅堂


※特命布教師・総務は参加願います。


6.摂心会円了懇親会


期  日   114日(土)午後6時~8 







          禅堂


※名誉会員はご招待します。


7.人間禅午前11時記念式・記念撮影・懇親会(禅堂)


午後230分解散


附属・剣道「宏道会創立61周年記念式典


期  日 115日(日)午前8時~9時 茶席(北寮茶室)


午前930分~1010分 演武(剣道場)







 
 

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(風流ならざるところ也風流、坐禅和讃新講㉞ 

(この)(とき)何をか求むべき    寂滅(じゃくめつ)現前する故に

当処
便(すなわ)蓮華(れんげ)国      此の身即ち仏なり


 

『文珠所説摩訶般若』の中の【清浄の行者涅槃に入らず 破戒の比丘地獄に堕せず】に対して、白隠老漢がおいた偈頌に次のものがある。
【閑蟻争い引く
(せいてい)の翼、新(えん)並び(いこ)う楊柳の枝、山婦は藍を携え
て寀色多く、村童は
(じゅん)を偸んで疏籬(そり)を折る。】
 ここで青というのはとんぼのことであり、筍とはたけのこで、疏籬とは、垣根である。
 丁度庵でいい気持ちで居眠りをしている庵主をわざわざゆすり起こして、門前の小僧がたけのこを盗んでゆくぞ と、告げ知らせてやっているようすでつまりは、五慾の素凡夫の境涯にかえった消息である。
修行に修行を重ねてみたが、畢竟労して功なし。
いらざることをしたものじゃわい、ということになる。
衆生の生滅心そのままが大涅槃で、そこに仏だの法だのといらざることをつけぬがよい。
「山奥の白木の器(うつわ)そのままに うるしつけねばはげ色もなし」坐禅をして悟りを得たの、般若の智慧を得たというのが、よくよくみれば恥の上ぬりであったわいという。

 耕雲庵老師の句に「元日や水(ばな)たれて大愚たり」というのがある。よく味わうとよい。



しかしそれなら、何故そんな無駄なことをわざわざするのか。


そこに又、得(え)もいわれぬ風流味がある。
これを風流ならざるところ又風流という。
この味は同床(どうしょう)に臥(ふ)してふとんの破れ具合を知ったものでないと味わうことはできない。 
 万々出世の祖師方は、担雪塡井(たんせつてんせい)をやってござる。


山を下りて、わざわざ雪を背負っては、それを井戸に投じて塡(うず)めようとする。


畢竟(ひっきょう)無駄なことである。
すぐ水に溶けてミジミジとなくなってしまう。
何故このようなおろかなことをしているのであろうか?
珊瑚(さんご)枕上(ちんじょう)両行(りょうぎょう)の涙 半ばは是れ君を(おも)い 半ばは君を(うら)む】という語があるが、まことに酔(すい)を憎んで酒をすすむという有様である。
 ここのところが真の寂滅現前底(じゃくめつげんぜんてい)である。
「この時何をか求むべき。」
ここでは長い間求めつづけてきた仏法も悟りもいらぬ。
求むべき一法とてない。
(白隠禅師坐禅和讃新講―白田劫石 述 「第4段(4)
(この)(とき)何をか求むべき 寂滅(じゃくめつ)現前する故に 当処便(すなわ)蓮華(れんげ)国 此の身即ち仏なりー人間禅叢書第6編 文責 豊橋禅会IT担当 田中宗晃)

 

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禅談・湊々津々浦々へ

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2017/9/26 17:14
 禅談・湊々津々浦々へ

 復元北前船との出会いから数年後、小生出張で若狭路、丹後路、伯耆路、出雲路、石見路、周防灘などへ行きますときは必ず湊(港)で疲れを癒す習慣があり、フラリと立ち寄ります。
 日本海に面した自然の湊鷺浦(出雲)、温泉津(ゆのつー石見大田)へ立ち寄った時のことです。
 水深のある湊、そこに錨をおろした小さな漁船、陸揚げされた漁船、漆喰づくりの蔵屋敷、焼き杉づくりの濱屋敷など露路を歩いて目に入ったことは、各家の表札には屋号があり、中でも特に目についた屋敷の表札に、「塩飽屋(しわくや)」とあった玄関先に、“塩飽島からの塩の商売で住み着き財を得た”と表記されていたことでした。
 浜屋敷群は丹後半島と同じような家づくりであること。
 また、温泉街として地域起こししている街並みを奥へと歩を進めると、格子戸のある数寄屋風屋敷が立ち並ぶ。

   

海岸に直角に伸びる縦の通り、奥に日本海がみえる、右に旧廻船問屋、塩飽屋が並ぶ  夏の権現祭、船で参拝 


 「あれ!」「あれ!」と首をかしげながら湊で腰を下ろし、入江を眺めていると、散歩しているご老人があるので、「ここはもしかしたら北前船の寄港地ですか?」と尋ねたものでした。
 すると、「そうです。お気づきになられたことでしょうが、この奥には随分繁盛した遊郭もありました」と、さらに話しを続けてくれました。
 「秋には北前船が酒田の米を積んで船団を組んでやって来ていました。
 温泉津ではその米をおろしておりました、天領の大森(石見銀山)へ運ぶ米でした。
 大森からは人夫さんが銀を運んで来て、北前船に荷積みしておりました。
 この地は船頭さん・船夫さんが塩汗、泥汗を流す処であり、船の修理をするところでもありまして繁盛したようです。
 鉄道(山陰本線)が開通してから北前船は来なくなりましたので、その後はすっかり寂(さ)びれてしまいました」と。



↑写真は「海の情報局」第八管区海上保安本部海洋情報部HPより転載。
 
島根半島の日本海側は入り組んだ海岸線をなし、「島根半島四十二浦」と呼ばれる。
それぞれの浦に神社があり、神事が執り行われている。
 ※「浦」は湾曲した入江のことで、漁村・港町を指すことばでもあります。
 
鷺浦は四十二浦のひとつであり、「杵築(きづき)七浦」にもなっていた。
 
(田中義琛-「禅」55号)
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