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ブログ - 20191106のエントリ

心で深く受けとめ肚でよく味わうー

耳聞不似心聞好 

(耳聞(にもん)()かず 心聞(しんもん)()きに)
  

  耳聞(にもん)心聞(しんもん)()きに()かず」とは、天然の(たえ)なる音楽というものは心の耳で聞き肚で味わうべきもので、単なる肉の耳で聞いたとてそのよさはわかるものではない、という意味である。

そしてこれはひろげれば「眼見は心見の好きに似かず」というようになり、それはさらに嗅覚(きゅうかく)・味覚・

触覚についてもいうことができよう。

要するに物事の真趣というものは、心で深く受けとめ、肚でよく味わうのでなければ、味わいつくせないものだ、というのがこの句のねらいである。    

 お茶事というものは、主客ともに(げん)()()(ぜつ)(しん)()六根(ろっこん)をフルに、しかも(きよ)らかに働かせて、(しき)(しょう)(こう)()(そく)(ほう)六境(ろっきょう)を深く味わうものであるが、真の茶人な

らば単にそうした感覚的な享受だけで()れりとすべきではない、心で受けとめ肚で味わうべきであるということを、この句は教えているのである。

だが、言うところの心とは単なるいわゆる心のことではなく、肚とは腹のことではない。

としたら、それはいったい何であろうか。                    

大疑団として皆様にさしあげておきましょう。

      (芳賀幸四郎著 新版一行物 ―禅語の茶掛― 下巻より)

                   (令和元年 三島静坐会投稿)


 

(注解)

 虚堂智愚(きどうちぐ、1185~1269):中国、南宋代の臨済宗の禅僧。南浦紹明など日本から入宋した多くの禅僧も彼に参じた。日本の臨済宗の源。

 ()、頌(じゅ)、偈頌(げじゅ):経・論などの中に、韻文の形で、仏徳を賛嘆し教理を述べたもの。また、それに準じて、仏教の真理を詩の形で述べたもの。

 似()かず:及ばない。

 櫺(れい):れんじ。窓やてすりに取り付けた格子。

 歇(けつ):やむ。やめる。やすむ。
 
 

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第127回秋季人間禅本部摂心会が開催されました

 

第127回秋季人間禅本部摂心会、全国諸会議、追憶尋思式、追憶座談会、人間禅有楽流茶道部茶会、宏道会剣道部による直心影流法定形、小野派一刀流組み太刀披露など秋季恒例諸行事が千葉県市川市国府台人間禅本部道場で、10月26日から11月3日にかけて開催されました。
師家は葆光庵丸川春潭老師 千鈞庵佐瀬霞山老師で、全国各地、道場、支部、禅会より多数の会員が参集して、摂心会、役位、諸行事に参加されました。
場所;千葉県市川市国府台 人間禅本部道場
期日;10月26日(土)14;00~11月2日(土)6;30
摂心会以外のその他の行事の時間設定
諸会議  2日9;00~17;30(禅堂その他の会場)
法要   3日(火)(禅堂)
茶席     8;00~9;00
剣道演舞   9;00~9;30(宏道会館二階、剣道場―直心影流法定形、小野派一刀流組太刀披露)
追憶尋思式  10;00~(両忘塔前)
納骨式    10;30(両忘塔)
追憶座談会  11;00~14;00(禅堂)

 

 
 

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悠久の大自然の息吹、虚堂和尚の「聴雪」()

 

「耳聞は似かず 心聞の好きに」あるいは「耳聞は心聞の好きに似かず」という七字一行は、われわれの禅の法系を宗より伝法した、大応国師の師である虚堂智愚禅師のこの「聴雪」から引用されているようである。

 雪国で暮したことのある方なら誰でもご存じのように、しんしんと雪の降り積る夜というものは、ジーンと底冷えはするが不思議と風がなく静かなものである。

そして降り積った雪をはじきかえす竹の音や、松の枝から落ちる雪の音などで、「オヤ、雪が降っているな」と気づくようなものである。

虚堂和尚は、火の()の乏しい庵室、隙間風(すきまかぜ)にゆらめく燈火のもとで経巻を読誦(どくじゅ)していたが、思わず読誦をやめて、この雪の降る夜のたたずまいを独りしみじみと味わったのである

そしてそこからこの「聴雪」と題する偈頌(げじゅ)が生まれたのである。

こうした絶唱は吟じ来り吟じ去っていただけばそれでよいのであるが、へたな散文に移せば、底冷えする寒い夜ではあるが、風はなくひっそりとしている。雪がしんしんと降っているのであろう、時折り、積った雪をはじきかえす竹の音がしじまを破る。

思わず耳を傾けると、寒さとともに窓を打つ雪の音がひそやかに伝わってくる。

それは悠久な大自然の息吹(いぶき)であり、その生命(いのち)の鼓動である。

この雪の夜の真趣は、肉の耳で聞いたのではとうていわからない。

心の耳で聞き(はら)で味わうのでなくては。

それにしても私はついこの音に聞きほれて、読みかけの経巻を中途で放り出しておったワイ。雪はいよいよ降っているらしい。

なお「松櫺(しょうれい)」とは松窓(しょうそう)のことである。


大自然の息吹「聴雪」(二)ー虚堂智愚

雪の立石寺(ウィキぺディアより)

 
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