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ブログ - 20190616のエントリ

見性悟道を目指すもの、坐禅の効用㉛
 自分一個の得力を求め、勢誉(せいよ)に傾斜する者と仏の誓願を純一に護持し、行道に打ち込む者との違いといってよい。
こればかりは隠すことができない。
自らを欺くことができないからである。

禅の修行というものは、どんな動機から入っても悪いことはない。神経衰弱(ノイローゼ)、双極性障害、うつ病、パニック障害、対面恐怖症を治したい、意志を強くしたい、集中力をつけたい、自分を取り戻したい、自分が一番緊要としている目的のために入って差し支えない。

しかし本格の祖師禅の修行は、そのような他のためにする行ではない。

行それ自身が目的である。無上道の行修である。

それは、人間として生を享けたこと、そのことの本旨を明らかにし、生きることの大眼目を明らかにする見性悟道を目指すものである。

(丸川雄浄著「坐禅の効用」より)
 


 

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