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ブログ - 20190613のエントリ

「道心の純・不純と打ち込みの実・不実の違い」坐禅の効用⑨
(一五)禅の功徳は求めるものではない(蛇足)
 最後に、どうしても書き出しにある「禅の功徳」の根拠と、人間形成の禅の修行の位置づけを付け加えておかねばと思い、蛇足を更につけました。
 人間禅の第三世総裁磨甎庵劫石老師の不朽の名著「槐安国語鈔(かいあんこくごしょう)講話」の一節を以下に引用しましょう。
「修行をしている学人を見ていると、公案は透過(とうか)し、見地は拓(ひら)けてくるが、人間としての香りや徳が身につかず、その人柄が人を惹きつけることがなく、専ら禅学になっている者と、そんなに旧参ではないが、隠徳を積んで、その日常の言行の行持(ぎょうじ)が篤く、他に親切で、自然と人から慕われる者とがある。
 何処にその相違があるかと言えば、結局は、その修行の原点となっている道心の純・不純と打ち込みの実・不実の違いにあるといってよい。
(丸川雄浄著「坐禅の効用」より)
 
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