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ブログ - 20190101のエントリ

京都歴史探訪―洛東②

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2019/1/1 13:13
京都歴史探訪―洛東②

<2日目(日曜日)>
応神天皇とのつながりは、藤森神社に神功皇后の旗塚が存在する程度である。伏見街道・大和大路沿いには名所が多い。京浜東福寺駅で下車。

東福寺

 大和大路沿い九条家三代目道家により東福寺となった。
藤原忠平が平安時代に、奈良に負けない伽藍をと法性寺を創建した。京都南東の地において藤原氏守護を願ったのである。鎌倉の将軍も出した九条家の祖兼実の孫道家により禅寺・東福寺が法性寺の後につくられた。伽藍面の荘大さにおいて東福寺が法性寺にとってかわったとの印象をあたえる。
 今も山門・禅堂・東司(便所)は室町時代のものである。
忠平―〇―〇―道長―頼通―〇―〇―〇―忠通―兼
      (法成寺)(平等院)     (九条家)
実―〇―道家  安国寺恵瓊が一時期塔頭の一つの住持であった。
また、文英青幹に秀頼が方広寺の鐘の銘文を依頼した。その銘文「国家安康」「君臣豊楽」を家康が問題使視して大阪冬の陣の引き金となった。

人間禅「禅83号」誌、私の古代史(その4)-京都歴史探訪に関連してー木戸開善、より転載


本堂(仏殿)、三門(国宝)、禅堂(重文)、霊雲院の遺愛石(書院より)、通天僑、禅院額字(国宝のうち「方丈」)(ウィキぺディアより)

 

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