メインメニュー
ブログ カレンダー
« « 2018 9月 » »
26 27 28 29 30 31 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 1 2 3 4 5 6
カテゴリ一覧

ブログ - 20180926のエントリ

お釈迦様の悟りの脳科学

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2018/9/26 11:39
お釈迦様の悟りの脳科学

前回で述べた脳内で起こる特殊な状態は、お釈迦様をはじめ禅の高僧だけが到達したのではなく、平安期の伝教大師(最澄)弘法大師(空海)、鎌倉期
の法然上人、親鸞上人などのわが国の宗教家、また荒野をさまよい悪魔と戦いながら修業をして愛を説いたキリスト、あるいは諸国を遍歴して仁を説き続けた孔子様も同様な脳の状態を体験されたものと思われます。

脳科学の観点からすれば、生物の一員であるヒトの脳に一定の条件を負荷した時の反応に大きな差異がある筈はなく、瞑想によってえられた宗教家の脳内変化はほぼ等しかったと考えられます。

その意味でも禅の悟りと真宗信徒の究極的な境地とは一致するといわれることが頷けるのです。

登る道は異なっても頂上は同じ所であり、その違いを争うのは信仰 の途中にある人たちだけなのであろう。 
ただユダヤ教キリスト教あるいはイスラム教などの一神教では、信仰の対象は外部にあり、エホバキリスト、アッラーなどに対して帰依し祈りをささげる
が、禅の場合はそのような超自然的な神への信仰はなく、想念の対象は自分自身、すなわち脳に向けられていることに気づく。

白隠禅師が「衆生本来仏なり」といわれたように、各人が瞑想を通して自己の脳をコントロールし、悟りにいたるのである。

その意味では禅が果たして宗教といえるか疑問であるが、多くの宗教の中で唯一、悟りへの道を公開し、その実践を通してお釈迦さまが得られた心の平安を私たちにも得させようとする教えといえるだろう。 

ヒトの脳を構成する脳細胞の数は、最近では一千億ともいわれ、神経線維によるその間のつなぎ方の組み合わせは、宇宙規模の膨大な数になるとされています。

まさにヒトは一人一人の脳内に宇宙を持って生まれているといえるのです。

そのため他の動物にはない悩みを持つことにもなったが、これはひとえに心というもののためと思われます。

私たちは物事を区別し判断をする相対界の元締めともいえるこの心のお陰で高度の文社会を築いてきたのです。

しかし一方では対象を客観的に見ることができず、過ぎ去った過去、まだ起こってもいない未来について悩んだり苦しんだりする。

達磨に弟子の慧可が、心の不安を訴えたとき、達磨に治してやるから心を持ってこいといわれハタと困った慧可は、さほどに掴みがたく刻々と移りかわる心に捕らわれることの愚かさを知ったのだろう。

ぶ厚い生理学書の中枢神経の章には意識に関する記載はあるが、心についての記載はどこにも見られない。

これは自然科学の立場からすれば当然のことかもしれない。

脳科学的には心のありかを特定できていないが、心は脳内の一カ所にはなく、少なくとも意志人格に関わる前頭葉、内言語を生む側頭葉、感覚を統合する頭頂葉、そして感情の場である扁桃体と記憶の座である海馬などが共同して働いた時、心が成立するのであろう。 
   今後さらに瞑想の科学的な解が進めば、ヒトだけが持つ心の正体がよりあきらかになってゆくものと思われ、お釈迦様の悟りの脳科学もより確かになるものと思われます。

(「お釈迦様の脳」本庄巌著②より) 

白隠慧鶴画「慧可断臂図」(江戸時代)上部に賛・自分の手を断って心眼を開くなどなんと無駄な行為だ(大分・見星寺蔵)

 
 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (198)