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ブログ - 20180921のエントリ

行一致、在家の禅「勝鬘経の世界」
9.「言行一致」
 前回まで勝鬘夫人の十大受を述べてきましたが、この十大受は誰にもわかるのですが、しかし、どの一つをとってもこれは容易に実践しがたい高い理想のものばかりだということです。
 世俗の眼からみてもそうした感じを受けるひとも多いと思います。
 仏教のうえからいいましても、大乗仏教の真髄がこの十大受の中に盛られているのですが、それは崇高な教えによって貫かれているということです。

口でこれを唱えることができても、果たして言うが如くに実践できるかどうか?疑問に感じる方が少なくないと思います。

現実社会では「理想としては結構だが、実行不可能なことだ」とか「それは理想にすぎない。現実はそんなにあまいものではない」などとよくいいます。

そうした人たちから見れば、勝鬘夫人の十大受もまた理想であって、果たしてそんなことができるであろうか?と疑問を抱くでしょう。

現に夫人がこの誓いを立てられたとき、そこに集まっていた大衆も同様の疑いを抱いたのです。

どんなに立派な理想を掲げても、それが実行不可能なものであっては何の役にも立ちません。

余談ですが、西洋の思想のうちには理想と現実と二元的にとらえ、理想が高ければ高いほど、現実と離れ、その乖離に苦しむという思想があります。

古くはギリシャ悲劇がそうで、例えばソポクレスによれば、神の教えを理想として忠実に守れば人間社会の現実の掟に背かなければならなくなる。

彼の代表作であるアンティゴーネはこの矛盾から生まれた悲劇であって、救い難い人間の不運を痛切に訴えています。



ソポクレス、紀元前496~406年頃のアテナイの悲劇詩人、代表作「オイディプス王」

 

アイスキュロス、エウリピデスにしてもそうで、ギリシャの三大悲劇詩人は神の正しさを弁じようと努めながら、現実の生活がそのために破綻していく姿を描いています。

また後に起きた浪漫派の思想にもそういうところがあります。

ヘルデスやノバーリスのような代表的な浪漫派の詩人は、高い理想を追求するが故に現実に適応できなくなっていくよい例でもあります。

西洋の思想にはこういう特徴がありますが、東洋思想は古代インド、中国でも、また、古代インドや中国の思想をとりいれ、発展させた日本においても、理想と現実は対立するものではないという一元的思想を貫いています。

特に大乗仏教は「生仏一如、娑婆即寂光浄土」地獄と天国と別ならずというように、二つのものを相対的に対立することなく、不二一如として捉えています。

この仏教の精神からいえば理想と現実は対立しないのです。

しかしそれは理の上のことで、大乗仏教の法理から説けばそうに違いはないのですが、ただこれを口まねして生仏一如とか娑婆即寂光浄土とだけ言っていても意味がないばかりでなく大変な間違いをしでかさないとも限りません。

理の上においても絶対の真理を悟るまでには大いに骨を折って工夫しなければなりません。

この絶対の真理を如是法とか大法とかいろいろの言葉で表現していますが、理想と現実、理(り)と事(じ)という面からいうと「不二の法」ということになります。

いわゆる理と事と不二一如です。

華厳経では四法界を説いて、仏教の世界観が展開されています。

簡単にいえば;1.理法界、2.事法界、3.理事無礙法界、4.事々無礙法界の四つです。

(小野円照著「勝鬘夫人の告白」より)


 萼(ガク、うてな)型の外側の凹面白地部分に描かれた古代ギリシアの俳優の肖像。
右上の文句は「アイスキュロスの息子エウイアオンは麗しい」と読める。
羽のついた兜とブーツを身に着けていることから、ソポクレースの悲劇『アンドロメダー』においてペルセースを演じている可能性がある。
紀元前430年ごろのもの。
シチリア島のアグリジェント県立考古美術館(イタリア語版)蔵
(電子百科事典より)

 

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