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ブログ - 20180902のエントリ

 

四日市禅会の芳光です。今年は酷暑でしたが、朝晩は漸く涼しくなり、コオロギや鈴虫の声もちらほらきこえてくるようになりました。
さて、去る824日(金)〜26()
台風の影響も心配されましたが、三重四日市摂心会(参禅会)in久居が無事、終了しました!
 
今回は、四日市禅会では初めての津市、久居での開催、くもん久居新町教室を禅堂に、熊谷宅を参禅室に行いました。二日目には、久居駅ビル、ポルタ久居三階の文化交流室で剣道古流形、直心影流法定之形稽古の実習をしました。長年古武道、剣道に携わっている小川さんの指導のもと、子供達を含め、数名が熱心に稽古に参加、竹刀ではなく、重たい木刀に、目を白黒させながら、大人も子供達も全身汗びっしょり、頑張りました。
 

又、ポルタ久居での講演会では、四日市禅会会長、エンジニアリング()勤務の田中さんから、「坐禅の効用について」と題して、ご自身、社会人として責任ある立場からのエピソードを織り交ぜ、わかりやすく話して頂き、我が身を振り返りつつ拝聴させて頂きました!

懇親会では、近所の親子がご馳走持ち寄りでの参加があり、子供達にとっては、食べて歌って踊って、最後は花火で締めくくり、夏の夜の楽しい宴となりました。
残暑厳しい中、老師をはじめ、名古屋から駆けつけて頂きました、名古屋禅道場、道場長の蓑輪清凛さん、今回の剣道インストラクター、四日市禅会常盤静坐サークル会長の小川さん、ご講演頂きました禅会長の田中さん、他参加されたみなさまに感謝申し上げます❣
 
次回の摂心会(参禅会)は9月8日(土)〜9(日)日四日市少年自然の家で予定されています。自然豊かな地で、秋の心地よい風をうけ、心身共にスッキリ、リフレッシュな週末を過ごしてみませんか?坐禅会開催地、少年自然の家では、週末毎に、親子向けの工作やダンス教室等イベントも開催され、誰でも参加する事ができます。
是非ご家族でお気軽に♪
 
毎週日曜日には、津市久居新町1061-3、熊谷宅にて、午後4時から、静坐会を開催しています。子供達でも10分ほど集中!坐禅、数息観(呼吸にあわせて1100を数える事に集中する)を無料体験することができます。


 
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  謂つべし、これを心に得、これを手に応ずれば、便ち能く大地を変じて黄金となし、長河を撹して酥酪となすと。豈平生を暢快にせざらんや。
 

5段目は修行した結果 開ける世界を表しています。

その開けた世界というものは、このような世界なのであると。 

もしこれを得ることができたなら、見性すれば世の中が一変する。

それはあらゆる大地がすべて、最高の価値のある黄金になってしまうようなものだ。

あの揚子江のような大きな川をちょっと掻き回すと、見たこともない食べたこともないおいしいチーズのような乳製品になってしまうようなものである。これはたとえであって、そのような精神の革命が起こる、ということを言っているのです。

つまり、本当の見性がいけて、それを日常に使うことができれば、精神的な革命が起こったように、日常生活が愕然と変わるのです。

本当の個性が生き生きと出てくるし、どんな社会的な場にいても自信に満ちた生活をすることができ、正しく楽しく仲の良い日送りをすることができるようになる。
 禅というものはあらゆる精神的な悩みを根本的に解決するものです。
ぼんやりした不安を解消するなんてことに留まらず、どんな絶望的な状態でも自分の持てる力を最大限に発揮して、世のため人のために力になることができる。

公案を手がかりにして正脈の師家に参禅し続ければ誰でも禅の真理に到達することができる。

見性すれば素晴らしい世界が開ける。

しかし一端の見性ではだめで、更に深めていかなくてはならない。

3年、5年、10年、30年、死ぬまで。

修行を続けておれば90才になっても100才になっても人間形成の向上は必ず進み深まるのです。

死ぬまで向上し続けるのが、正常な人間の生き様なのであり、本当に人生を楽しく味わうということができるのです。

本文から外れますが、11炷香の重要性について付言しておきます。

われわれは専門僧堂で生活しているわけではない。

摂心会がない時は、自分の日常生活の中で工夫をしなければならない。

毎日意欲を持って数息観の質を向上していかなければならない。

修行向上のために有効なのが数息観評点記録です。



両忘老大師筆「葦葉の達磨」

 
 

  只管冊子上に言を念じ、禅を訪ぬること莫れ。

禅道は冊子上にあらず。

古徳許多の艱難を喫して方に此の道を得たり。

我 豈独り然らざらんや。

宜しく二祖の断臂と雲門の折脚を思うべし。

勉旃勉旃(べんせんべんせん)。

 

本を読んでも禅はわからない。

「禅道は冊子上にあらず」というわけです。

禅は知性ではなく感性ですから、相対樹から行によって絶対樹に移らなければ、人間形成の禅に入って行けない。

古人は様々な艱難を乗り越えて道を完成させて来られた。

宗活老師だって耕雲庵老師だって例外ではない。

頭燃を救うがごとき修行を継続されたからです。

古来禅家では志と精進努力の好模範として「二祖の断臂と雲門の折脚」を挙げています。

「二祖の断臂」とは二祖慧可大師が達磨大師に入門を願い出たときに臂を断ってその意志を示したということ、「雲門の折脚」とは雲門文偃大師が若いころ道を求めて何回も何回も入門をお願いしたが門内に入れてくれなかった。

あるときやっと門を開けてくれたがすぐに門扉を閉めようとしたので、咄嗟に片足を門内に入れたから大きな扉に挟まり足の骨が折れたという故事である。精進努力することを「骨を折る」というのはここから来ている。

「勉旃勉旃」努力せよ、努力せよというわけです。

頭の善し悪しでも社会的な地位でも何でもない、志を強く持ち続けて頭燃を救うがごとき努力を継続することだけが大成する必要条件であります。

第一回 平成2927日 東京支部摂心会 仰月庵呼龍老師提唱 
第二回 平成3077日 青年部夏期摂心会 葆光庵春潭老師提唱
(人間禅青年部提供)



 

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