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ブログ - 20180801のエントリ



近鉄久居駅前の自衛隊久居駐屯地手前の旧国立津病院跡地に十数年前、「みどりの風公園」が建設され、公園内に同地区出身の旧帝大(東大)農学部教授、「上野英三郎博士とハチ公の像」と「芭蕉と久居藩祖藤堂高通公句碑」二基が建設されました。

芭蕉の句碑は「詠むるや江戸にはまれな山の月 」、高通公(俳号、任口-にんく、忍苦の意?)へのあいさつ句、とある。

一方、高通公(任口)の句碑は、武蔵野かたへゆくものにつかわしける「はなむけぞ江戸紫の菊の枝 任口」である。

「伊勢久居藩史」にも芭蕉が松尾宗房・桃青時代より、藤堂高通とは京都の俳諧宗匠北村季吟の同門であったとの記述があり、江戸から伊賀上野へ帰郷の際には、久居藩にたびたび立ち寄ったようである。
また、松尾宗房(後の芭蕉)最初の江戸下向時・1672年(、寛文12年、29歳)に久居藩士・向日八太夫が同道したとの記録もある。
寛文12年とは松尾宗房の若き主君、伊賀上野藤堂家藩主良忠(俳号・蝉吟)死去6年後のことである。




 

昭和初期の伝記の解説では;  

 詠むるや江戸にはまれな山の月 (桃 青)

 「詠(なが)むる」は、つくづくと眺める意。
 「山の月」といったのは、伊賀山中の月を指したもの。
 平凡で何の奇もない句である。

ただ、「江戸」に「穢土(えど)=けがれた国土。この世」が掛けられており、「江戸にはまれな」というあたりに、貞徳派より談林的な発想に向かう時期の風をうかがうことができるとしている。
 『蕉翁全伝』に、「桑名氏何某ノ催ニ応ジ、渡部氏ノ方ニ会あり」として、この句が掲出されている。延宝四年(1676)帰郷の時の作という。季語は「月」で秋。
  「江戸を遠く離れ、久方ぶりに故郷へ帰ってみると、何もかも物珍しい感が深い。
折しもこの世ならぬ清らかな月が山の上に昇ったが、これもまた人家の混み合うほこりっぽい江戸とは違った趣で、つくづく見入ってしまう。」




近鉄久居駅ビルと夏の雲(7月31日、AM11;00撮影。、28日には変則台風12号早朝伊勢市に上陸して西日本へ向かう、この日は南西九州海上で停滞中)

久居藩とは;
ひさいはん

伊勢(いせ)国一志(いちし)郡久居(三重県津市)周辺を領有した藩。

外様(とざま)1669年(寛文9)津藩主藤堂高次(とうどうたかつぐ)の三男藤堂高通(たかみち)が、父の領地のうち、伊勢国(一志、河曲(かわの)、三重、安濃(あの)、安芸(あげい)、鈴鹿(すずか)郡)、大和(やまと)国(十市(といち)、山辺(やまべ)、式上(しきのかみ)、添上(そうのかみ)郡)、山城(やましろ)国相楽(そうらく)郡の計115万石を分与され、翌年久居に居所を営み立藩。

高通は任口(にんく)と号し、北村季吟(きぎん)・湖春(こしゅん)父子に学び俳諧(はいかい)をよくし、著書に『久居八百五十韻』がある。城下町づくりにも意を用い、T字形道路や旅籠(はたご)町などの家並みに昔がしのばれる。

『梅原三千著『伊勢久居藩史』(1971・三重県郷土資料刊行会)』より

(みえ四日市禅会俳句部)

 

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