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ブログ - 20180719のエントリ

 

 
  

廬山煙雨浙江潮,
  未到千般恨不消。
  到得還來無別事,
  廬山煙雨浙江潮。

  


廬山の煙雨  浙江の潮,
未だ到らざれば 千般  恨 消えず。
到り得 還り來れば  別事 無し,
廬山の煙雨  浙江の潮。




蘇軾(蘇東坡居士)

銭塘江逆流
銭塘江逆流は杭州から東北の方向へ45キロの塩官鎮に位置しています。銭塘江は長さ610キロで、中国第四番目の川です。源は安徽省の休寧市にある標高1144メートルの仙霞嶺山脈です。月と太陽の引力、銭塘江の川の形などとも関係で、銭塘江逆流の形成されています。世界中に逆流を見える川がただ2本しかありません、一つは銭塘江で、もう一つは南アメリカにあるブラジルのアマゾン川です。銭塘江の潮は「海寧の潮」あるいは「浙江の潮」ともいわれます、毎年の中秋の頃に潮が満ちてくるときに、満ち潮を見に来る人々は昼も夜も絶えありません。銭塘江には潮を見る所は三カ所あります。旧暦の七月から八月までの秋分の前後は潮の落差が大きく、とても壮大な景観です。
 
※蘇軾:北宋の詩人。北宋第一の文化人。政治家。字は子瞻。号は東坡。現・四川省眉山の人。景祐三年(1036年)~建中靖國元年(1101年)。三蘇の一で、(父:)蘇洵の老蘇、(弟:)蘇轍の小蘇に対して、大蘇といわれる。

※廬山煙雨:廬山のきりさめ。 *第一句(起句)と第四句(結句)とが同一にできるのは、近体詩では、それの平仄の配列が同じ(
○○●●●○○(韻))ため。このような作品例は極めて少ない。なお、この作品には禅の深い意味が蔵されていると謂われるが、ここでは、通常の詩作として解釈する。「廬山と物の見方」については、蘇軾に『題西林壁』「橫看成嶺側成峰,遠近高低各不同。不識廬山真面目,只縁身在此山中。」がある。
 ・廬山:〔ろざん〕江西省の九江市の南にある山塊(『中国第百科全書 中国地理』、『中国歴史地図集』)。陶潛は南山と詠ったこともある。
陶淵明の隠棲した近くにある山。
 ・煙雨:煙るように降る雨。きりさめ。
晩唐・杜牧の『江南春絶句』に「千里鶯啼綠映紅,水村山郭酒旗風。南朝四百八十寺,多少樓臺烟雨。」とある。

※廬山煙雨浙江潮:廬山のきりさめと、浙江の銭塘江の潮の遡上(とは天下の奇観である)。

 *「廬山煙雨浙江潮」の句の読み下しで、「廬山は煙雨 浙江は潮」と読むのを見るが、日本古典の『枕草子』「春はあけぼの…夏は夜」のような日本語古語の係助詞(ある事柄を取り立てて強調し、他と区別しつつ判然と提示意を表す)の「…は」とするのは適切か。このような句の構成の場合、普通には「廬山の煙雨  浙江の潮」と、格助詞の「の」を入れて読み下す。
漢語で謂えば「廬山(者/是)煙雨 浙江(者/是)潮」なのか、「廬山(之)煙雨 浙江(之)潮」なのか。ここは、「廬山(之)煙雨 浙江(之)潮」で、「廬山の煙雨  浙江の潮」と読み下すのが通常では。 ・浙江潮:中秋の明月の頃、浙江省の銭塘江を潮が遡上することを謂う。
中唐・白居易の『憶江南』二に「江南憶,最憶是杭州。山寺月中尋桂子,郡亭枕上看潮頭。何日更重游。」とあり、中唐・劉禹錫の『浪淘沙』に「八月聲吼地來,頭高數丈觸山迴。須臾卻入海門去,卷起沙堆似雪堆。」とあり、清末~・蘇曼殊は『本事詩』で「春雨樓頭尺八簫,何時歸看浙江潮。芒鞋破鉢無人識,踏過櫻花第幾橋。」と使う。
この外、秋瑾も屡々詠う。

※未到千般恨不消:まだ行っていない時は、いろいろと心に思い悔やむことが消えない。

 ・未到:まだ行っていない。 
・千般:〔せんぱん〕いろいろ。種々。さまざま。千万(せんばん)。 
・恨不消:心に悔やむことが消えない。
 ・恨:心に残り、(自分に対しての)うらみの極めて深いこと。残念がる。また、後悔する。ここは、前者の意。

※到得還來無別事:(しかしながら)帰って来てみれば、どうって事は無く。

 ・到得:行き得る。行くことができる。
 ・還來:戻ってくる。帰ってくる。 ・還:〔くゎん〕帰る。(元の状態に)戻る。帰る。
 ・別無事:別にどうって事は無い。 

※廬山煙雨浙江潮:廬山のきりさめはきりさめで、浙江の銭塘江の潮の遡上は、潮の遡上(に過ぎない)。

(中国HPより)
 
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