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ブログ - 20180707のエントリ


7/1日、三重四日市参禅会が円了しました

 こんばんは!三重四日市禅会の田中太玄です。7/1日の第13回三重四日市禅会の参禅会が無事終了しました。おなじみの三重四日市禅会メンバーとその子供たち、名古屋から龍雲居士に駆け付けて頂き、加えて、インターネットを通じて参禅会に初めて参加された桑名のMさん、以前からなじみの津からお越しいただく、Yさんがあつまった活気ある参禅会となりました。
 茶話会で小生が“坐禅の効用”という本の紹介をさせていただきました。その中で 禅に対する本当のひたむきさがその人の人格に香りをつけることになる。 という一節があり、とても印象に残っているので、紹介させていただきました。

 
 



みえ四日市禅会

お問い合せ先

熊谷正幹(竜安)TEL:080-1015-6004  Mail:hwnus352@ybb.ne.jp

 
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[蕉風]を宣言、禅者芭蕉読本㉖
 

芭蕉総合年表では、延宝8年(1680年)松尾宗房桃青37歳、4月「桃青門弟独吟ニ十歌仙」を出版する。とある。

  同年5月、徳川家綱、40歳で死去、8月に徳川綱吉第5代将軍に就任。

 6月11日の項(目)には、翌々日予定の神田上水の総払い作業の町触れ書きに松尾宗房(桃青)請け負いと思われる記述があり、22日には、同町触れ書きが再発行されたとしている。

 年表の7月10日の項(目)には「下里知足、江戸田原町小澤太郎兵衛(門人尺卜)商店松尾宗房(桃青)に自著を送付。と記
述されている。


          

尾張国、鳴海村鳴海宿(安藤広重の版画より)


9月、桃青判詞のある「俳諧合田舎其角」・「俳諧合常磐屋杉風」を刊行。

同年冬、深川の芭蕉庵に隠棲。

岡村不卜編「向之岡」に発句9句入集。

各地に飢饉発生、この年は幾内、関東共に大飢饉であった。

延宝9年(1681年)38歳、春、門人李下から芭蕉の株を贈られ、芭蕉庵を名乗る。5月、高山某宛て書簡1通。

6月、池西言水編「東日記」に発句5句入集。

7月、其角・揚水・才丸との四吟、百韻1巻・50韻1巻「次韻」を出版。

〇大垣より入府中の谷木因らと俳諧開催。現存する芭蕉書簡として最古の木因宛て書簡である。

〇其角・揚水・才丸らと四吟二百五十韻を「俳諧次韻江戸桃青」として板行。

〇「蕉風」を宣言。ただ、芭蕉の俳号使用は天和2年3月より始まる。

閏8月6日、台風襲来。本所・深川の死者700余人、浸水家屋3420余戸。14日も大荒れ、両国橋半壊。

秋、「月侘斎」・「茅舎の塵」・「寒夜の辞」執筆。

木因宛て書簡。

9月29日、幕府、年号を天和に改元。

芭蕉、幾内、東海地方での旅の址


名古屋の偉人「門人,下里知足とは;

 寛永17年(1640年)?尾張国鳴海村生まれで、没年は宝永元年、65歳。現在の名古屋市緑区鳴海町在住の桃青・芭蕉門人で、庄屋の傍ら鳴海六歌仙の一人として句作。また、西鶴と交流のある文人でもあった。

当時の鳴海は東海道の宿場で、知足は、千代倉という屋号の造り酒屋の当主で、農・商兼業の富豪であった。法名は寂照<じゃくしょう>といい、黄檗の木庵、月舟和尚にも参禅していた。

俳人としては、はじめ談林派を学んでいたが、知足の俳諧は余技的な面があり、天和から貞享年間にかけて、師となった芭蕉の指導は懇切を極めていたが、師の新風推進に十分対応できなかったといわれている。

「笈の小文」の旅の途次芭蕉はここ鳴海の知足宅で休息している。彼に宛てた芭蕉の真蹟書簡は現在6通が残されている 。なお、知足自筆の『知足斎日々記』延宝873日の条(くだり)に、芭蕉宛に自著(『大柿鳴海桑名名古屋四ツ替り』)を送った記録があり、その自著内の句寄稿者蘭には松尾桃青の所在について江戸「小田原町 小澤太郎兵衛店、松尾桃青」の記述があり、これがこの時期の芭蕉の動静の貴重な記録となっている。

著書として、息子、下里蝶羽編の俳書「チ鳥掛」(1712)がある。

参考文献;芭蕉総合年表、電子百科「しもさとちそく」、「芭蕉翁全伝」

(みえ四日市禅会俳句部)
 

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