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ブログ - 20180501のエントリ

坐禅会にはじめてご参加の皆様へ
 
数息観(すうそくかん)のすすめ

坐禅(座禅)の仕方も正式な坐り方や、簡易の椅子坐禅もありますが、それは会場で体験して頂くとして、「数息観」について事前に説明させていただきましょう。


数息観とは?

§      数息観とは、坐禅を組んで静かに自分の呼吸を数え三昧(梵語のサマデイーに由来する精神の集中状態)に入る修行の方法で、乱れ散乱している心を鎮め、三昧の力を養います。
数息観は、一見簡単なように見えますが、実は容易なものではありません。
「数息観は坐禅のもっとも初歩であるが、
またもっとも終極である」と言われる所以(ゆえん)です。

 

§      (数息観の仕方)
自分の自然な呼吸を心の中で数えます。始めの息を静かに吸いながら「いー」と、その息をそのまま受けて吐きながら「ち」と数えます、つまり、一呼吸(吸う息と吐く息)で「いーち」です。

次の吸う息と吐く息をもって「にーい」と数え、
次の呼吸を「さーん」と数えてゆきます。
そして、百まで数えます。
百まで数えたら、また「いーち」に戻って繰り返し行います。
線香一本分の数は、個人差はあると思いますが、大体「二百五十~三百五十」くらいです。
数息観は以下の条件を守って行ってください。

 

§      まず、数を間違えない

§      雑念を交えない
・上記2点に反したら、「いーち」に戻って数えなおす
この条件を満たしていることが『数息観』なのです。

この条件を満たすように数を数えていくと、中々数え切れずに途中で嫌になるかもしれませんが、それが修行なのです。


(二念を継がず)                        

数息観を行う上でよく言われることに「二念を継がず」と言うコツがあります。
この意味は雑念を相手にしないと言う事です。

すると、その雑念は「スゥー」と立ち消えてゆきます。
数を数える以外の周りの出来事に思いを巡らす(二念を継ぐ)と、次、そしてまた次と雑念が次々と起きてきます。
そうなりそうな時には「深呼吸をやや深く、大きめに取りながら」数息観に没頭します。
「ひたすら数を数えることを信じて疑わない」事が大切です。

 


(三昧-ざんまい)


三昧とは「心をいっさいに任せて、散乱させない」事です。
心を「今、当面しているひとつの事に集中させる」のです。
この三昧を基礎から身につけるための方法が「数息観」なのです。
嬉しいときには「嬉しい三昧」、悲しいときには「悲しい三昧」。
いつでもどこでも「三昧・三昧」の日常生活ができれば、人生、これほど快適なことはありません。学問研究、学業、学習、事業、仕事でも武道、スポーツ競技でも、三昧になれば効果は抜群に現われます。



岐阜洞戸(旧東海)坐禅道場ー人間禅岐阜禅会 IT 部

 
 

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斉明天皇(朝鮮)遠征へ、私の古代史(十八)

661年正月14日、現在の愛媛県松山市の三津浜に比定される熱田津に斉明天皇一向は停船し、約2か月滞在した。
四国地方から兵士を動員するための時間が必要であった。
船出の際に帝が詠んだとされる歌が「万葉集」巻1に収録されている。
ただ万葉集ではなぜが宮廷歌人額田女王の歌として記録されている。

熱田津(にきたつ)に船乗りせむと

  月待てば潮もかなひぬ

     今は漕ぎ出でな(巻1・8)


「さ、出発しよう」。満月の夜、意気揚々と次の停船地である、現・博多港・那大津(なのおおつ)に向けて出航する様子がうたわれている。3月20日前後、満月の夜博多に出航、25日到着、5月9日朝倉宮に入り、7月27日不帰の人となった、女帝享年68。





 

母なる斉明帝を悼んで、
中大兄(後の天智帝)が詠んだ歌が残っています。

君が目の恋しきからに泊(は)てて居て
かくや恋ひむも君が目を欲(ほ)り

(恋しいあなたにもうお目にかかりたいばかりに
海の上に留まっておりますのに、もはや生きたあなたには
お会いできないのですね。このように恋しさが募ることです。
あなたにお目にかかりたいばかりに
661年、称制(天皇が即位の式を挙げずに天皇の政務を執ることであるが、この時代は大王。天皇の称号が唐より与えられるのは、天武朝からである。)した中大兄皇子は現・福岡市長津宮で20年間日本にいた第31代百済王義慈王子扶余豊璋(ふよほうしょう)に大識冠(日本国大王の臣下で最高位)を与え百済王に冊封する。
親衛軍5000、170艘の水軍を与え帰国させる。
663年百済独立軍の拠点周留城(するじょう現・韓国忠清南道舒州郡)の白馬江下流で海に近い北岸の山稜に入った、此処で日本軍は古代朝鮮半島で初めての大敗を喫する。白村江の戦いである。
 
 

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