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ブログ - 201804のエントリ

オール東海(HP人間禅東海)の皆様へ

   「名古屋で夜一番遅い水曜坐禅会」は

 71か月間は中小田井願王寺での「座禅会」は休みます、その間は矢田コミニテ-3階で毎週火曜日1830から2030まで「大曽根坐禅会」を実施致しますので、そちらへのご参加、宜しくお願いします。
 

  7月は中小田井願王寺は大相撲名古屋場所で伊勢ノ海部屋の宿舎として使用されるためです、因みに著名の宿泊力士は「勢」と「錦木」関です、応援よろしくお願いします、名古屋場所は78(日)から722(日)ですが前後での使用がつづく為、予めご協力をお願い致します。


 
名古屋禅道場長(人間禅名古屋支部長)龍光庵蓑輪清稟(みのわせいりん) 合掌
Seirin minowa
seirin1105@gmail.com
携帯 090-1560-6881 
MLホームページ: https://www.freeml.com/horado-zen-club
 

 

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真に世のため人のためとは?在家の禅「勝鬘経の世界」
 
世のため、人のためといえば立派な善行のようですが、その善行の裏に自己に対するメリットを計算に入れ、他のためというのが、実は自分のためにする意図が隠されている場合が案外多いようです。
勝鬘夫人はややもすれば陥りやすいこのような欠陥を細かく指摘して自ら自戒し、一切衆生のための故に「無愛染(あいぜん)心・無厭足(えんそく)心・無罣礙(けいげ)心」を以って衆生を摂受せん、と救済の決意を示された。
無愛染(あいぜん)心とはけがれのない心といってもよいが、それは人情や感情によって偏見を持たないことです。


日本画・聖徳太子と伝聖徳太子像


聖徳太子の勝鬘経義疏(しょうまんぎょうぎしょ)によると「無愛染心とは凡夫に同ぜず」とありますが、いわゆる凡夫は人情や感情、あるいは地位とか名誉とか、主義主張とか、いろいろのものに執着し囚(とら)われています。
無愛染心とはそうした執着をきれいさっぱりと棄てたけがれなき心です。
そうでないと、何かに執着し、偏見をもっていると利他行に漏れを生じ、一切衆生を利益することはできなくなります。
無厭足心とはあくことなき心です。
仏教各宗派で唱えている四句の誓願も、まず「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」からはじまるように、救うべき衆生は数限りなく無際限ですから、これを度し尽くすのもまた無際限です。
いくら救ってもこれでよいということにはならないので、あくことなき心をもっていなければなりません。
聖徳太子の義疏(ぎしょ)では「無厭足とは二乗に同ぜず」とありますが、二乗、つまり小成(しょうせい)に安んずる小乗の徒とは大きな違いがあるのです。
無罣礙心とは、義疏に「大士に同ずるなり」とあります。
大士とはとは菩薩行を行ずることのできる上乗の菩薩ですが、そういう大士たる者は常に無罣礙でなければなりません。無罣礙になることは非常にむつかしいことで、仏教では頗る高い境涯とされています。
無罣礙心とは「さわりなき心」と注釈されていますが、単なる言葉の解釈くらいではその実境涯(じっきょうがい)がわかるものではないのですが、利害・得失の打算はもとより、是非・善悪などの比較を超絶したもので、利にも偏せず失にも偏せず、迷いも悟りも忘却した境地に入らなければこの無罣礙心は得られません。
 なにかの主義・主張に執着しているようでは「さわりなき心」とはいえないのです。
これが大乗仏教の究極で、迷悟両忘の境地です。
仏の任運(にんうん)とか、無作の妙用(みょうゆう)などと云われる働きから自然(じねん)に運び出されてくるのです。
聖徳太子が「大士と同じ」といわれているのは流石に明快な註釈です。
勝鬘夫人が衆生を利益(りやく)するにはこの無罣礙心をもってしなければならないと云われるのは、頗る高い誓いというべきです。
(小野円照著「勝鬘夫人の告白」より)
 
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岐阜洞戸坐禅道場で本格坐禅体験会開催

自然豊かな岐阜県、清流長良川の支流板取川のほとり、その昔小京都と呼ばれた絹、和紙の故里、美濃洞戸に鎮座する岐阜洞戸(旧東海)坐禅道場。早朝5時から夜10時までの坐禅三昧の記念すべき平成30年新年度の幕開け、新季節、貴重な5日間です。

坐禅を行じることで、日常をリフレッシュ
現代は、様々な情報が目から耳からはいってきます。最新の脳科学でもその効果が実証されている坐禅と数息観の時間を生活に取り入れることで、日頃の鬱傾向、ストレスや悩みから離脱して、本当の自分と向き合える時間を作ることが出来ます。特に最近各方面で身心をリラックスさせて気持ち新たにそれぞれ各自の直面している課題に効果的に取り組む方々も増えてきました。
禅の真の醍醐味とは?
一般社会では「禅=坐禅」と認識されていますが、本来禅修行の醍醐味は、特に人間禅では在家のままで臨済宗の正脈の師家に参禅出来る事です。
公案(*1)を通してお釈迦様の悟りを追体験(*2)することでお釈迦様の悟りをしっかり体得することが出来ます。(*1:禅の師家と修行者が顔々相照らして腹蔵なく禅問答をする)
(*2:自分の体験として再現、自覚する)
●早朝5時から夜まで坐禅三昧の5日間、期間中は静坐(坐禅)参禅作務を通じて、在家のままで(出家せず)本格的な禅の修行ができる機会です。(人間禅は在家禅です)
【日時】平成30年日(水)19:00集合13日(日)12:00
【場所】岐阜県関市洞戸大野975-2
人間禅岐阜洞戸坐禅道場(東海坐禅道場)
【担当】人間禅総裁 葆光庵丸川春潭老師 
    
http://nagoya.ningenzen.jp/uploads/ckeditor/images/20171228143310.jpghttp://nagoya.ningenzen.jp/uploads/ckeditor/images/20171228151126.jpghttp://nagoya.ningenzen.jp/uploads/ckeditor/images/20171228151311.jpghttp://nagoya.ningenzen.jp/uploads/ckeditor/images/20171228151443.png
 

自然に囲まれた、落ち着いた広大な天地で坐禅に集中することができます

【提唱】無門関

<主なスケジュール>
5:00  起床  
5:30  静坐静坐後参禅
7:00  茶席   
7:30  朝食  
8:30  作務(室内清掃堂外軽作業)
10:30  静坐静坐後参禅  
12:00 昼食(昼食後午睡乃至自由時間) 
14:00 作務(室内掃除典座手伝いなど)堂外
16:30  静坐静坐後参禅  
18:00  夕食
19:00  講座下読み
19;30 提唱講後参禅  
22:00  開枕(就寝夜坐)

【摂心会費】
参加費  社会人: 3000円   主婦学生:1000
食費/1食 300円  宿泊/何泊でも500
懇親会費 1000
 
【初めての方、団体様もお気軽にお問合せ下さい】
*申し込み、問い合わせは人間禅東海、名古屋禅道場各HP。フェイスブックからでもお申込み可能です。
【URL】http://nagoya.ningenzen.jp/ 
FBhttp://www.facebook.com/nagoya.ningenzen/
【電話】080-1606-9677渡辺玉蘭(わたなべぎょくらん)
 

期間中、ご希望の日時のみの参加も可能です。座りやすい服装でご参加ください。
*初めての方もご安心して参加して頂けます。座禅が初めての方にも坐り方や禅とは何か?など初歩から指導致します。
*個人の信仰や宗派なども関係なく、どなたでも参加できます。
 
 

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坐禅会の作務を岐阜洞戸坐禅道場で行います


 

5月9日(水)~13日(日)岐阜豊橋禅会合同摂心会(坐禅会)岐阜県関市洞戸大野岐阜洞戸(旧東海)坐禅道場で開催されます。

4月30日(日)10より、坐禅会の準備作務を行います。会員の方のみならず、坐禅に興味のある方、大歓迎!!です。


(岐阜洞戸坐禅道場長ー人間禅岐阜禅会長 渡辺玉蘭)

●お問い合わせ先
 

渡辺玉蘭(わたなべぎょくらん):携帯080-1606-9677


 Eメール:gyokuran1106@gmail.com


 

クルマでの交通案内ー東海北陸道 美濃インター下車20分または岐阜市街から256号線北へ40分
カーナビで・・・目的地「人間禅岐阜洞戸(旧東海)坐禅道場」またはTEL:0581-58^7014で検索下さい。

 

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                          古代王国ガンダーラ、三蔵法師と歩むシルクロード⑦


ガンダーラ(巴: Gandhāra、梵: Gāndhāra)は、現在のアフガニスタンの東部からパキスタンら北西部にかけて存在した古代王国。

カーブル川(英語)北岸に位置し、その東端はインダス川はを越えてカシミール渓谷の境界部まで達していた。

ガンダーラの王国は紀元前6世紀~11世紀の間存続し、1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えた。

1021年にカズナ長のスルタン・マフムードにより征服された後、ガンダーラの地名は失われた。

イスラム支配下ではラホール、またはカーブルが周辺地域の中心となり、ムガル帝国の支配下ではカーブル州の一部とされた。

地理的にはガンダーラはウ゛ェダ時代、カーブル河岸からインダス河口までをその疆域としていた。その領域はペシャワール渓谷(英語)として知られている。

のちの時代にガンダーラ人(英語)はインダス川を越え、パキスタンのパンジャーブ州北西部をも領土に含めた。ペルシアと中央アジアの重要な交通路であったガンダーラは国際的な商業都市として繁栄した。

時代によって、ペシャワール渓谷、タクシラ、スワート渓谷をまとめてガンダーラの領域に含めることがあるが、中心地は常にペシャワール渓谷であった。

王国の首都はチャルサッダ(英語)(チャールサダ)、タクシラ、ペシャワール、末期にはインダスのフント(英語)に置かれた。

歴史上ガンダーラの名前は「リグ・ウ゛ェーダ」にも現れているが、紀元前6世紀にはアケメネス朝ペルシャのキュロス大王、もしくはダレイオス1世によってその版図に組み込まれたことが分かっており、ペルセポリスのダレイオス1世碑には"GADARA"という名前が記録されている。ギリシャの歴史家ヘロドトスの著書「歴史にはペルシャ帝国の20の属領が記されているが、そこではガンダーラはPaktuikeまたはペシャワール渓谷として記録されている。

アレクサンドロス大王の東征と、マウリヤ朝の支配

紀元前380年頃までにペルシャの支配は弱まり、多くの小王国がガンダーラを分割支配した。

紀元前327年にはアレクサンドロス大王がガンダーラに侵攻したが、大王はこの地に1年も留まらなかった。

同じ頃、マウリア朝のチャンドラグプタ王はタクシラにあったが、紀元前305年にはセレウコス朝を破り、アフガニスタン南部を支配下に収めた。

その後、1世紀半にわたりマウリヤ朝がこの地を支配した。チャンドラグプタの孫アショーカ王は熱心な仏教徒となり、ガンダーラに多くの仏塔を建立した。

その後、マウリヤ朝が衰退してインド亜大陸に退くと、ギリシャ系のバクトリアがこの地に勢力を拡張した。

紀元前185年頃、ガンダーラとパンジャーブはバクトリア王で目とリオス1世により征服された。その後、バクトリア分裂の後、ガンダーラ地方はバクトリア内部での独立した政権が支配した。

インド・グリーク朝のメナンドロス1世はガンダーラの最も有名な王である。

仏教徒となった王はは「ミリンダ王の問」『として仏典に描かれ、多くの仏教徒によく知られる存在となった。

紀元前140年頃にはメナンドロス王は死に、インド・グリーク朝の分裂が始まった。

同じ頃、バルティア系民族により圧迫され、イラン高原からサカ族がガンダーラ地方へ移住した(インド・スキタイ王国)。

現在のパキスタン北部、アフガニスタンで使用されているパシュトー語はこのサカ族の言語を起源としている。

紀元前90年にはパルティアはイラン東部を支配下に収め、紀元前50年頃にはアフガニスタンに残る最後のギリシャ人勢力を駆逐した。

パルティアはガンダーラにギリシャ的な芸術様式を持ち込んだギリシア系住民を一掃した。

現代、我々がガンダーラ美術の発展を見るのはこのときからである(紀元前50年〜75年)。


インド(紀元前6世紀の十六大国、)左上のGandaharaがガンダーラ

(ウィキペディアより)

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三蔵法師と歩むシルクロード⑥
 

バーミヤンの仏教遺跡

バーミヤン渓谷は古代以来の都市であるバーミヤーン(バーミヤン)の町を中心とするヒンドゥ-クシュ山脈山中の渓谷地帯で、標高2500mほどの高地に位置する。

古代から存続する都市バーミヤーンの近郊には、1世記からバクトリアによって石窟仏教寺院が開削され始めた。石窟の数は1000以上にものぼり、グレコ・バクトリア様式の流れを汲む仏教美術の優れた遺産である。

5世紀から6世紀頃には高さ55m(西大仏)と38m(東大仏)の2体の大仏をはじめとする多くの巨大な仏像が彫られ、石窟内にはグプタ朝のインド美術やササーン朝のペルシャ美術の影響を受けた壁画が描かれた。

バーミヤーンの仏教文化は繁栄をきわ、630年に唐の仏僧三蔵玄奘がこの地を訪れたときにも依然として大仏は美しく装飾されて金色に光り輝き、僧院には数千人の僧が居住していたという。

その後、ムスリム(イスラム教徒)勢力がこの地にも及ぶようになり、イスラーム教徒による厳しい迫害によって次第に仏教徒の共同体は消滅していった。

11世紀初頭にこの地を征服したガズナ朝のマフムードによって石窟寺院遺跡が略奪を受けたとも言われる。

大仏も装飾が剥がれ、顔面部が崩落するなど長年にわたる放置のために大きな被害を受けたが破壊はまぬがれ、偶像崇拝を否定するイスラムの時代を通じても依然として多くの壁画が残されていた。

19世紀以降、アフガニスタンが国際社会に組み込まれ、西洋人や日本人が山岳地帯の奥深くまで探検に訪れるようになると、バーミヤーン遺跡は大仏を始め多くの仏教美術が残されていたことから俄然注目を集めることとなった。

20世紀には多くの学術調査が実施されてその価値は高く評価され、一躍アフガニスタンの誇る世界的な文化遺産とみなされるに至る。

しかし、1979年のソビエト連邦のアフガニスタン侵攻以来、アフガニスタンで続いてきたアフガン紛争によって大きな被害を受けた。

2001年には当時のアフガニスタンのターリバーン政権の手により爆破され、遺跡は壊滅的な被害を受けた。紛争終結後の調査により、一連の混乱と破壊により大仏のみならず、石窟の壁面に描かれた仏教画のおよそ8割が失われたとされている。

2015年には中国の研究チームが3Dでの大仏の復元を行った。


 

アムダリア河;中央アジアの大河。パミール高原に源を発し,タジキスタン,トルクメニスタン,ウズベキスタンの3国を北西に流れ,アラル海に注ぐ。

     

西の男像(大日如来・バーミヤン大仏)遠景、高さ55М、この東に女像、高さ38Мがある。
中)、仏陀を守るヘラクレスとされる像。下)、女像(バーミヤン大仏・大日如来)

 

                          
 
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第5回豊橋摂心会(坐禅会)ご報告
 

第5回豊橋摂心会(坐禅会)が4月11日~15日の会期で、豊橋市下条東町古城82・金西寺に人間禅総裁葆光庵丸川春潭老師を拝請して厳修されました。

411日(水)、18;30老師入山。19;30結制茶礼、その後静坐(坐禅)、21;00参禅、22;00開枕(就寝)。

第1日目、412日(木)、5;00起床、5;30静坐(坐禅)、6;15休憩、参禅準備、6;30参禅、7;00お茶のご相伴、730;朝食、8;30作務、10;00作務止め、その後休憩、10;30静坐、

11;30参禅、12;00昼食、14;00作務、16;00作務止め、その後休憩、16;30静坐、17時30参禅、18;00夕食、19;30提唱(今日の老師の提唱は無門関・百尺竿頭、更進一歩)21;00講座後の参禅、22;00開枕。

第2日目、413日(金)の主な日課。

11;30入会式・職分任命式。14;30〜16;30古武道剣道・直心影流法定の型稽古、その他の日課は定例の日課。

 

第3日目、414日(土)の主な日課。

8;30古武道剣道・直心影流法定の型稽古

10;30静坐、11;30参禅、12;00昼食、14;30講演「ドリームアップと禅」講師・三輪裕子(夢遊禅子)、16;30講演会参加者での希望者の老師面談、17;00静坐、18;00参禅、19;00懇親会・余興、民謡踊り・春駒の稽古21;00終了後片ずけ、22;00開枕。

4日目、415日(日)。

午前中は定例の日課。12;00円了茶礼、12;30昼食、13;30老師ご下山、17;00解散。

主な役位。直日・玄徳、助香・大剣、自観、助警・巖松、玉蘭、韶春、聖侍・夢遊、龍雲、巖松、殿司・心法、自観、宗晃、隠侍・龍雲、法善、玉蘭、白蓮、新到者係り・自観、夢遊、合図・宗晃、巖松、庶務・自観、配膳・大剣、夢遊、白蓮、お茶ご相伴亭主、121314日・大剣、15日・法善。

剣道指導13日(金)・剣清庵栗山令道老居士、14日(土)三松無妙居士。

法定型指導、老師。の皆様でした。

 

 

 

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四日市禅会の芳光です。朝晩は、花冷えのする今日この頃、昼は半袖の子供達もみられ、寒暖差の激しい時期ですね。この時期は、毎年、新入社、新入学、進級、転勤、転校等、生活環境が多少なりとも変化する方が多いのでは焦らず、慌てず、あきらめず、歩んで参りましょう

 

さて、4/8の久居の日曜静坐会は、最後の春休みを謳歌すべく、ボーリング大会!?で一汗流してきた子供達を誘い、2年生と4年生親子、11名で10分を2回、坐禅体験しました!

 

前回、四日市会館での坐禅会の時は、ママから離れられなかったkちゃんもあれから早一年、

 

今回は他のお友達も一緒ということもあり、まあまあ、しっかり坐れているでしょ!?

 

この日も、坐り方、数息観の説明から入りましたが、Ýちゃんは、400まで数えられたよ、すごいでしょ!?や、数を数えることを忘れていた!?というs君など、子供らしい感想が微笑ましかったです。箸が転げるだけで笑える子供達、最初は黙って坐るだけで、大笑い!お友達と近くに坐るだけでスキンタッチ等、おふざけした後の、ほんのひと時実現した静寂でした。
                
   
  
   
  
  
  

 

 
 
 

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坐禅のできる会場を探しています!
                                    
田中太玄です。三重四日市禅会からのお願いです。

三重四日市禅会は四日市近郊で、摂心会(座禅会)ができる会場を探しております。摂心会とは、坐禅や参禅(臨済宗正脈の師家と公案を通しての、いわゆる禅問答のようなやりとりで自己の境涯をお釈迦様の境涯にまで高めていく)、作務(おもに清掃、食事の準備―典座など)を、泊まり込みで行う在家禅の会です。その目的は、禅の修行を通じ、日頃の悩みやストレスから離れ、心身をリラックスさせ、気持ち新たに各自の禅による人間形成や日々の仕事、生活に取り組んでいる方が全国各地の道場やお寺の会場で増えてきています。

どなたか、坐禅のできる場所、寝泊り、食事が準備できる設備をもった施設(お寺や公民館、公共施設、民家など)をご紹介いただけないでしょうか?後程費用等含め、ご相談に伺います。
 

坐禅会風景        連絡先 
 

 

お問合せ先:


 

 

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三吉野や世上の花を目八分、禅者芭蕉読本㉒

延宝八年(1680年)、(芭蕉37歳、当時は宗房)四月「桃青門弟獨吟二十歌仙」が刊行された。

特に、其角・嵐雪のような優秀な門人がその中にいたのは大変な強みであった。

其角の入門は「五元集」序によると、延宝初年であったという。

其角自筆の年紀、淡々の「其角十七回」所蔵によると、「桃青門弟獨吟二十歌仙」に収められた一巻を獨吟したのは、延宝五年十七歳の時のことであった。

杉風や其角が宗房(芭蕉)に教えを受けたのは、江戸出府後間もなくであったようであるが、正式の入門は延宝四年秋宗房が再度江戸に帰った後のことだとされている。

つまり二十歌仙の撰集は、延宝五年頃から企画され、八年に至って完成したのである。

同じ八年には其角の「田舎の句合」と杉風の「常盤屋の句合」が、宗房の判詞をつけて公刊された。

其角自筆の年紀によると、ともに延宝六年の作であるという。

かように、江戸の俳壇での宗房の声望はいよいよ高く、

「桃青門弟獨吟二十歌仙」中で、嵐蘭は

桃青の園には一流ふかし

と自身の獨吟に揚句している。

また、二十歌仙は後世「若葉合」跋では「芭蕉翁の花」とも賞嘆されている。

かくして、宗房が再出府後、俳諧師として立つに至ったことは自他ともに認めるところであった。

しかし、この間に宗房が小石川の水道工事に従事していたことも伝えられている。

「風俗文選」の芭蕉傳に「甞世為遺功、修武小石川之水道、四年成、速捨功而入、深川芭蕉庵出家、年三十七」とある。

つまり、延宝五年から八年まで四年間、水道修工の事に関係していたというわけである。

水道工事によって功をたてようとするなら、俳諧は余技でやっていたことになるのか?という疑問が当然わくところである。



「これはこれはとばかり花の吉野山」

 

野口在色の遺稿「俳諧解脱抄」に、中頃桃青と名乗て東府(江戸)に吟ひ、此の道の宗匠を望み、萬句の會を催しける。

予わけてとりもちて成就しけり。

と伝えている。「中頃」とだけでは、いつのことか定かではないが、延宝七年四月に成った岸本調和撰の「富士石」に、

三吉野や世上の花を目八分   等躬

 

という句がある。三吉野とは古今にわたって桜の名所吉野の雅称、また、江戸期、吉原の高名な花魁の名でもあったと聞く。これは思い過ごし?

「八分目(に見る)」とは;

傲慢な態度で人に接する。人を見下す。

この萬句興行は延宝七年四月以前であったことが判明しているので、当時萬句の興行は、俳諧の宗匠たるべき資格とされていたので、宗房が在色のような江戸談林派の有力者の後援の下で萬句興行が成就することは、宗房の俳諧宗匠として、その地位を公けに認められたも同然であった。

「奥の細道菅菰抄」の「芭蕉翁傳」の二世卜尺の談に「しばしが程のたつきにと、縁を求めて水方の官吏とせしに」とある。

「筠庭雑録」に引用した延宝八年の「役所日記」によると、一定の日だけ出勤して現場の事務監督などにあたっていたようである。

要するに衣食の費用を得る為に為せる技、現代で言えばアルバイトであった。
(三重四日市禅会俳句部)
参考資料、竹人「全伝」、竹二房「芭蕉翁正伝」、穎原退蔵「芭蕉」、、「芭蕉総合年賦」

 

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