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ブログ - 20180201のエントリ

サマルカンド、三蔵法師と歩むシルクロード③
 三蔵法師が立ち寄ったシルクロードの要衝、ウズベキスタンのサマルカンドは、青の都と呼ばれた町の中心ㇾギスタン広場にはタイルの青が美しいモスクがあった。
 この地域に住んだアーリア系のソグド人はラクダの隊商を組んでシルクロードを旅する交易の主役であったが、拝火教を信じていたと三蔵法師は「大唐西域記」後の「西遊記」に記している。
 彼らは唐の都では胡人と呼ばれ、酒家では胡姫が胡酒・ワインを注ぎ胡演舞を舞っていた。
 政府の要人にも登用されたが玄宗皇帝に仕え反乱を起こす安禄山もソグド人であった。

(三蔵法師と歩くシルクロード 本庄慈眼 人間禅「禅」誌新年号より)


サマルカンドで 

註),ウズベキスタン:
中央アジアの国、シルクロードのオアシス国家、現在はイスラム教徒が多数を占めるが、「8000年前には農耕が行われていた」とも言われる長い歴史の中で、仏教文化が栄えた時期もあった。砂漠に埋もれていた仏教遺跡が今まさに各地で発掘されつつある。

最近まで旧ソ連の構成国であった。モスクや霊廟、中国と地中海地域を結んだ古代の交易路シルクロードに関連する史跡で知られている。シルクロード沿いの主要都市サマルカンドには、レギスタン広場をはじめ、さまざまなイスラム建築の歴史的建造物が残っている。また広場に面した 3 棟の神学校は、壮麗なモザイク装飾で覆われており、その歴史は 15 世紀と 17 世紀にさかのぼる。首都タシュケント、通貨スム。人工3185万(2016年)、公用語;ウズベク語。
 

観光地;ㇾギスタン広場、グーリ・アミ―ル廟、ビービー・ハーヌム・モスク、アルク城、アミ―ル・ティム-ル博物館など。


 

ソグド人;

ソグド人(英: sogd)は、中央アジアのゼラフシャン(ザラフシャン)川流域地方に住んでいたイラン系(ペルシャ系)のオアシス灌漑農耕民族。また、商業を得意とし、あまり定住にこだわらず、シルクロード周辺域で多様な経済活動を行った。近年の研究では、シルクロードを経済的に支配していたといわれている。

居住地であるソグディアナがシルクロードの中間に位置することから、アケネメネス朝支配下にあった頃より広く交易に従事し、マケドニアのアレクサンドロス大王の、征服、その後のグレコ・バクトリア王国支配下においても、独自のソグド語を守り、ウイグル文字、の祖であるソグド文字を利用し、宗教的にはゾロアスター教、はのちに一部がマニ教がを信奉して、東方のイラン系精神文化を中国にもたらした。その活動範囲は東ローマ帝国から唐の長安にまで及んだが、イスラム勢力の台頭によりイスラム化が進み、12世紀にはその民族的特色は失われた。ソグディアナ地方はのち、ウズベク人南下によるテュルク化が進んでいった。

 

紀元前2世紀頃のソグド人(ソグディアノイ)の位置。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安禄山;


 

安禄山は、唐代の軍人、大燕国皇帝。本姓は康で、康国出身のソグド人と突厥系の混血。「禄山」はソグド語の「ロクシャン」の音訳。唐の玄宗に対し安禄山の乱を起こし、大燕皇帝に即位したが、最後は次男の安慶緒に殺害された。

生年月日;西暦703年、暗殺;西暦757129,(洛陽)(ウィキぺディア)

 

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