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ブログ - 20171222のエントリ

 22日は冬至です。三重県の伊勢神宮には、美しい日の出を見ようと、多くの人が集まりました。22日朝、伊勢神宮内宮の宇治橋前には、日の出を見ようと参拝客らおよそ300人が集まりました。冬至の時期には、鳥居の真ん中から朝日が昇る様子が見られるためで、参拝客らは、この美しい光景に手を合わせたり、さかんにカメラにおさめたりしていました。こうした朝日は、1月5日頃まで見られるということですよ。
(三重四日市禅会俳句部)

                          
                                今日は穏やかな冬至の日
  

 

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真物、真道あり、宗演禅師菜根譚講話(二十一)

 
家庭に個(こ)の真物(しんぶつ)あり。
日用(にちよう)に種(しゅ)の真道(しんどう)あり。
人、能(よ)く、誠心和気(せいしんわき)、愉色婉言(ゆしょくえんげん)、父母兄弟の間(かん)をして、形骸両(けいがいふた)つながら(と)け、意気交々(いきこもご)も流れしめば、調息觀心(ちょうそくかんしん)に勝ること萬倍(まんばい)なり。

 

この一章は、学人が極めて意(い)を留(と)めて味わうべきところである。
一体全体、成仏とか得道とかいうことは、坐禅して、呼吸を調(ととの)え心を観(かん)じ、種々の工夫を積まなければならないように世人一般は誤解をしているように思われるが、それは大いなる誤りである。
何もそんな難しいものではない。
禅では常々「脚下(きゃっか)を照顧(しょうこ)せよ」というが、これは、むしろ何かと難しく考えたり、遠きに求めたりするな、という意味である。
真正(しんせい)、本当の仏、本当の道というものは、家庭、つまり、家の内や、日用、日常、日日出会う種々の出来事、社会、世間の中に存在しているのである。
世人が誠實(まこと)のこころを持(じ)し、和らいだ気分を保ち、常に愉快の顔色をして、優しいことばずかいをして、一家族、互いに思いやり深くその間に少しの隔ても置かず、形骸、体がとけあって一つになったように気合いが流れ合って、年中、楽しく生活していけるようであるなら、それがとりもなおさず、本当の仏、本当(真正)の道というべきである。
何も座禅や調息観心の工夫を積むにはおよばぬのである。
それどころか、それらの行いに勝ること千倍、万倍というべきである。
個とは一個、種とは一種ということである。
愉色(ゆしょく)とは愉快な顔色、婉言(えんげん)とは優しい言葉のことである。、
                                                           
  冬至の富士山    
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