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ブログ - 20171202のエントリ

坐禅和讚新講㉙付録、坐禅儀(三)

 身相既に定まり、気息(10)既に調(ととの)って然して後、臍

腹を寛放し、一切の善悪 ()べて思量することを 念起らば即ち覚せよ(11)之を覚すれば即ち失す。

久久に縁を忘ずれば、(おのずか)ら一片となる。

 此れ坐禅の要術なり。

(ひそ)かに(おも)うに、坐禅は乃ち安楽の法門なり

。而(しか)るに人多く疾(しつ)を致すことは、蓋(けだし)し用心を善くせざるが故(ゆえ)なり。

 若(も)し善く此の意を得れば、即ち自然(じねん)に四大軽安(しだいきょうあん)に、精神爽利に正念分明(しょうねんぶんみょう)にして、法味(ほうみ)神を(たす)け、寂然(じゃくねん)として清楽ならん。

 若し(すで)発明(はつみょう)(12)するところ有らば、謂(いい)つべし竜の

水を得るが如く、虎の山に()るに似たり。
 若し未だ発明(はつみょう)するところ有らざるも、亦(また) 乃(すなわ)ち風に因(よ)って火を吹くが如く、力を用いること多からず。

 但(た)だ(こう)心を弁(べん)ぜよ。

必ず相い(いつわ)らず(13)

然(しか)り而(しこう)して道高ければ魔盛にして逆順万端(ぎゃくじゅんばんたん)なり。

但(た)だよく正念現前(しょうねんげんぜん)すれば、一切留礙(いっさいりゅうげ)すること能わず。

(りょう)(ごん)経、天台の止観(しかん)、圭峯(14)の修証儀(しゅしょうぎ)の如きは、(つぶさ)に魔事を明らめ、(あらかじ)不虞(ふぐ)(15)に備うる者にして、知らずんばあるべからざるなり。

 若し定(じょう)を出(いで)んと欲せば、徐徐(じょじょ)として身を動かし、安詳(あんしょう)として起ち、卒暴(そつぼう)なることを得ざれ。

 出定(しゅつじょう)の後も、一切時中、常に方便を作(な)し、定力(じょうりき)を護持すること嬰児(えいじ)を護る(16)が如くせよ。かくの如くならば即ち定力成(な)し易(やす)し。

 夫れ禅定(ぜんじょう)の一門は、最も急務為り。若し安禅静慮(あんぜんじょうりょ)にあらずんば、這裏(しゃり)に到って総に須(すべか)らく茫然たるべし。

 所以(ゆえ)に珠を探るには、宜しく浪を静むべし。

水を動ずれば取ること(まさ)に難かるべし。

(じょう)(ちょう)(せい)なれ心珠(しんじゅ)(おのずか)ら現ず。

 故に円覚経(えんがくきょう)に云わく、無礙清浄(むげしょうじょう)の慧(え)は皆禅定に依(よ)って生ず。

 法華経に云わく、閑処(かんじょ)に在って、其の心を修摂(しゅうせつ)せよ、安住不動(あんじょううふどう)なること、須弥山(しゅみせん)(17)の如くなるべし。

 是(ぜ)に知(し)んぬ、超凡入聖(ちょうぼんにっしょう)は必ず静縁(せいえん)を()り、坐脱立亡(ざだつりつぼう)は須らく定力(じょうりき)に()るべし。

 一生取弁(いっしょうしゅべん)するすら、尚(なお)(さだ)(18)たらんことを恐る。

いわんや乃ち遷延(せんえん)して、何を()ってか業(19)に敵せん。

 故に、古人云く、 若し定力の死門を甘伏(かんぷく)する無くんば、眼を(おお)うて空しく帰り、宛然(20)として流浪せん。

 幸いに諸禅友、斯文(しぶん)を三復(21)せば、自利利他同じくして、正覚(22)を成ぜん。

    

 

坐 禅 儀 註(三)

10.気息(きそく) 息に四種ありといわれる。風・喘(ぜい、

ぜん)・気・息である。

「風」とは、鼻中の息の出入に声あるもの。

「喘」とは、声はないが出入結帯して通ぜず、あえぐこと。

「気」とは風と喘の相はないが、出入(こまや)かならず。

「息」とは、出入綿々として存するが如く亡するが如く、神を(たす)けること安穏に情(じょう)によろこびを生ず、といわれている。

11.念起らば即ち覚せよ 一念が起ったならば、それはそれとしてそのままにして二念(にねん)をつがない。

12・発明(はつみょう) 直指人心見性成仏(じきしにんしんけんしょうじょうぶつ)、のこと。

13・ただ肎心を辯ぜよ、必ず相賺らず 肎は肯である。禅の修行は、直心道場を(のり)とするといわれ、己をいつわらず、心底から納得がいくまで徹してホントーの自分の本心というものを見究めるも。

のである。頭の素天辺から足のつまさきまで真正直で、寸糸の私念をも介入せしめない。

14.圭峯 唐の圭峰宗密禅師。

15.不慮 不測の事態

16.嬰児を護る 赤子をいだくように護(まも)る、「銅皿

裏満盛油(どうさらりまんせいゆ)」ともいわれる。皿の上に油を入れて、それをもっているときのように護持するとの意である。

17.須弥山(しゅみせん) 妙高山と訳す。世界の中央に位(くらい)すると考えられていた山、泰山の如く不動なれとの意。

18.蹉蛇(さだ) よろよろして根本がさだまらぬ。

19.業(ごう) 業識障(ごっしきしょう)。

20.宛然(えんぜん) もとの素凡夫(すぼんぷ)のすがたのまま依然として。

21.三復(さんぷく) ただ読むだけでなく、行取(ぎょうしゅー修行したうえで)して味わう。

22.正覚(しょうがく) 天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)の本心本性をさとる。

人間禅叢書第6編 『白隠禅師坐禅和讃新講』

昭和48215日 第一版発行

昭和55101日 第二版発行

著者 (はく) () (ごっ) ()

 

(白隠禅師坐禅和讃新講、付録「坐禅儀」―白田劫石 述、人間禅叢書第6編 文責 豊橋禅会IT担当 田中宗晃)

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