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ブログ - 20171018のエントリ

野沢 凡兆のざわ ぼんちょう、(寛永17年1640年〜正徳4年1714年)江戸前期の俳諧師、。
姓は越野、または宮城、宮部とも。加賀国金沢の出身と言われる。京都に出て医者になり、そのときに芭蕉と出会い、師事したが後に離れた。
晩年は零落したという。妻の野沢とめ(羽紅)も俳諧師である。写実的な句を得意とした。
(ウキィぺディア)
凡兆を芭蕉は高く評価したという。
芭蕉七部集の中でも出色とされる『猿蓑』に入集した最多の俳人は編者となった凡兆の41句であった。
芭蕉は40句、同じ編者の去来は25句であるから破格の出世であった。 

 『猿蓑』編集の場所は凡兆宅で芭蕉が旅から帰ると凡兆宅を定宿にしたという。
芭蕉より4歳年長ということもあってパトロンとしての役得といえた。 
京都で安定した医者の生活のかたわら俳諧を楽しむゆとりがあるかと思えば関係者の罪に連座して獄中生活も体験した波乱の人生であった。
名声を得て以後は芭蕉と袂を分つ。芭蕉に心酔しながらも盲従はしなかったようである。(蕉門つまり芭蕉をめぐる弟子の人間関係の消長を描いた、嵐山光三郎著「悪党芭蕉」)

 代表句について。 

  かさなるや雪のある山只の山 

*重畳たる山なみ、という表現がある。それを俳句にした感じであるが雪山とまだ積もってない山と対比して遠近感を示す。正岡子規が凡兆を称賛したというのはこんな手法に着眼してのことであったと思われる。 

  炭窯に手負いの猪の倒れけり 

*鈴鹿の山中では今でも炭焼き窯は良く見る。その窯に(猟師が放った)矢が刺さった猪が力尽きて倒れているという。現代なら猟銃一発で即死だろう。八風南峠の近くで、ある山岳俳人が寝ていた時、猪を見てびっくりしてそっと立ち去ったという。こんなのと争えばこっちが手負いになりそうであると直観したのだ。と。もと武人の去来なら一刀のもとに切り捨てたであろう。 

  ながながと川一筋や雪の原

*これも凡兆の句である。件の山岳俳人は石徹白の和田山牧場辺りは雪原の中に一筋の流れがあってまさにそんな風景なのだと。
新潟の蓮華温泉からの兵馬の平の風景も雪原(夏は湿原)の中央部をながながと川が流れている。今もどこかで見る懐かしい風景である。と。


    
                                                     

上)、蓮華温泉 下)、鈴鹿山脈、釈迦ケ岳
写真:稲垣勝義  三重郡菰野町地蔵からの釈迦ヶ岳
 南北60kmにわたる鈴鹿山脈のほぼ、中央部に位置している。山頂が突出していないため、余り見栄えのいい山ではない。
 山名は、釈迦の寝姿に似ていることから名付けられたといわれる。自然林がよく発達しているため、山頂は広葉樹が茂り、視界はあまりよくない。

(三重四日市禅会俳句部)
 

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