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ブログ - 20170926のエントリ

禅談・湊々津々浦々へ

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2017/9/26 17:14
 禅談・湊々津々浦々へ

 復元北前船との出会いから数年後、小生出張で若狭路、丹後路、伯耆路、出雲路、石見路、周防灘などへ行きますときは必ず湊(港)で疲れを癒す習慣があり、フラリと立ち寄ります。
 日本海に面した自然の湊鷺浦(出雲)、温泉津(ゆのつー石見大田)へ立ち寄った時のことです。
 水深のある湊、そこに錨をおろした小さな漁船、陸揚げされた漁船、漆喰づくりの蔵屋敷、焼き杉づくりの濱屋敷など露路を歩いて目に入ったことは、各家の表札には屋号があり、中でも特に目についた屋敷の表札に、「塩飽屋(しわくや)」とあった玄関先に、“塩飽島からの塩の商売で住み着き財を得た”と表記されていたことでした。
 浜屋敷群は丹後半島と同じような家づくりであること。
 また、温泉街として地域起こししている街並みを奥へと歩を進めると、格子戸のある数寄屋風屋敷が立ち並ぶ。

   

海岸に直角に伸びる縦の通り、奥に日本海がみえる、右に旧廻船問屋、塩飽屋が並ぶ  夏の権現祭、船で参拝 


 「あれ!」「あれ!」と首をかしげながら湊で腰を下ろし、入江を眺めていると、散歩しているご老人があるので、「ここはもしかしたら北前船の寄港地ですか?」と尋ねたものでした。
 すると、「そうです。お気づきになられたことでしょうが、この奥には随分繁盛した遊郭もありました」と、さらに話しを続けてくれました。
 「秋には北前船が酒田の米を積んで船団を組んでやって来ていました。
 温泉津ではその米をおろしておりました、天領の大森(石見銀山)へ運ぶ米でした。
 大森からは人夫さんが銀を運んで来て、北前船に荷積みしておりました。
 この地は船頭さん・船夫さんが塩汗、泥汗を流す処であり、船の修理をするところでもありまして繁盛したようです。
 鉄道(山陰本線)が開通してから北前船は来なくなりましたので、その後はすっかり寂(さ)びれてしまいました」と。



↑写真は「海の情報局」第八管区海上保安本部海洋情報部HPより転載。
 
島根半島の日本海側は入り組んだ海岸線をなし、「島根半島四十二浦」と呼ばれる。
それぞれの浦に神社があり、神事が執り行われている。
 ※「浦」は湾曲した入江のことで、漁村・港町を指すことばでもあります。
 
鷺浦は四十二浦のひとつであり、「杵築(きづき)七浦」にもなっていた。
 
(田中義琛-「禅」55号)
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