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ブログ - 20170913のエントリ

江戸での宗房・桃青、禅者芭蕉読本⑩

徳川家康が天正15年(1590)に関東に入府し、文禄3年(1594)に江戸隅田川に千住大橋を架橋した。
その78年後の寛文12年(1672)、まだ新興の都会であったであろう江戸に下った29歳の宗房(芭蕉)の目的は、当時の江戸の俳壇に進出を考えたとするより、後年の述懐「一たびは士官懸命の地をうらやみ」とあるところから、その目的は立志士官であった、とする説が有力である。

 


与謝蕪村画「芭蕉翁」


当初、江戸のどこで生活をはじめたのかは定かになっていないが、後に日本橋本小田原町の魚問屋の息子、杉山杉風らとの深い交流がうまれるので、彼らの庇護のもとにあったのではと考えられている。


芭蕉の出家について、俳諧関連の文献としては、杉風四世採茶庵梅人が「杉風秘記抜書」として引用した「松尾甚四郎殿伊賀よりはじめ此方へ被落着候。剃髪して素宣と改められ候時、衣更着は十徳をこそ申すなれ 杉風 斯く申しおくりぬ。」との記事が伝えられているが、「杉風秘記」の確実性は現在立証されていないので諸説言われている。
剃髪出家の次第はともかく、仏頂禅師のもとでの、禅修行の経緯は現在、人間禅四国道場(高知市)蔵書の中で、仏頂禅師側から記録した芭蕉翁臨済宗修行の全経過詳細が年賦と共に記載、記録されている。

一巷間伝えられている仏頂禅師との交流は次のようである。(次回へ)


 
この時代の伊賀上野、江戸、松尾宗房(芭蕉)に関わる年賦
 
1581(天正9)織田信雄4万2千の軍が9・27に侵入、伊賀軍約1ケ月で敗退。
1590(天正15)徳川家康関東入府。
1594(文禄3)家康、江戸隅田川に千住大橋架橋。
1608(慶長13)徳川家康、藤堂高虎を伊予より
伊賀上野へ移封
1615(慶長20)大阪城落城、秀頼(23)、淀君(49)ら自害。
1616(慶長21)家康死去(74歳)
1620(元和6)江戸、神田川を堀り割る。
1623(元和9)家光3代将軍に就く。
1630(寛永7)藤堂高虎死去(75歳)
1632(寛永9)秀忠死去(54歳)。
1634(寛永11)伊賀上野鍵屋の辻で荒木又衛門仇討事件。(甥の復讐に成功)
1642(寛永19)仏頂和尚、常陸国に生まれる。
1644(寛永21)松尾芭蕉 伊賀上野赤坂町に第三子次男として生まれる。月日不祥、幼名金作
1647(正保4)杉山杉風江戸日本橋本小田原町魚問屋杉山賢永長男として誕生。
1651(慶安4)門弟向井去来、長崎に生まれる
1653(承応2)鹿島の冷山和尚、深川臨川庵を開く。

1656(明暦2)父・与左衛門死去、享年不祥。
1662(寛文2)(19歳)藤堂新七郎家嗣子・主計良忠に出仕。
1666(寛文6)(芭蕉23歳)主君藤堂良忠(蝉吟)死去。以後、6年間の仔細不明。(この頃、1説によると甥桃印の父死去?)
1667(寛文7)(24歳)「続山井」に伊賀上野松尾宗房の名で発句8句、付け句3句入集。
1669(寛文9)(26歳)「如意宝珠」荻野安静編、に伊賀上野宗房名で6句入集。
1670(寛文10)(27歳)「大和順礼」岡村正辰編、に伊賀上野住宗房名で発句2句入集。
1672(寛文2)(29歳)「貝おほひ」を伊賀上野菅原神社に奉納。

1672(寛文12)(29歳)江戸に下る

1674(延宝2)(31歳)伊賀上野へ初の帰郷

1675(延宝3)(32歳)西山宗因江戸来遊歓迎百韻にて、初めて桃青の俳号使用。

杉風・其角・嵐蘭ら入門。(江戸蕉門誕生?)
1680(延宝8)(37歳)冬、芭蕉市中から深川の草庵に移る。

 

以上「芭蕉総合年表」等より抜粋)

        

                 (みえ四日市禅会俳句部)

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