ブログ - 201707のエントリ
無相の相を相として 往くも帰るも余所ならず
無念の念を念として 歌うも舞うも法の声
(最後段)
臨済録に【汝もし祖仏と別ならざらんことを得んと欲せば、只(ただ)如是(にょぜ)に見て疑誤(ぎご)することを用いざれ。
心々不異(しんじんふい)なる、之を活祖と名づく。
心(しん)もし異(い)あれば乃(すなわち)ち性・相(せい、そう)別(べつ)なり。
心不異なるが故に、乃ち性と相と別ならず。】といわれている。
ここに心々不異(しんじんふい)というのは、一念一念が純真でまじり気(まじりっけ)がなく、正念(しょうねん)になり切っていることである。
「如是見(にょぜけん)」というのは、まっこうこの通りに見るということで、ありのまま正しく映し出すことであり、何の造作(ぞうさ)も加えず心々不異から運び出した自然法爾(しぜんほうに)のはたらきである。
ここで「見る」というのは、単に眼にて見るというばかりではない、全身心を以て受け入れることであり、従ってそこから無作(むさ)の妙用(みょうゆう)が出てくる。


雲水(うんすい)という境涯(きょうがい)がある。
行雲流水(こううんりゅうすい)を友とする身である。
人間形成の弥次喜多道中は、「五十三次(ごじゅうさんつぎ) 馬の
屁の数」という境である。
ここに「余所(よそ)ならず」とは、本分(ほんぶん)の家山(かさん)のことであり、どこへ行っても自分の家である。
とくに自分の持家というものをもたない。
【縁(えん)に随(したがい)い感(かん)に赴(おもむ)いてあまねからざるところなし。
しかも常に此(こ)の菩提座(ぼだいざ)に処(しょ)す】というその菩提(ぼだい)の座である。
臨済禅師が【途中にあっても家舎(かしゃ)を離れず、家舎を
離れて途中に在らず。】というのは、ここの消息を語っている。
耕雲庵老師の句に「故里もたぬ旅空広し赤とんぼ」
というのがある。
大心(たいしん)の衆生である菩薩が三界(さんがい)に入
って遊戯(ゆげ)して不請(ふしょう)の友となる境涯をうたっているのである。
ここのところが「無相の相を相として往(ゆ)くも帰るもよそならず」という境地である。
(白隠禅師坐禅和讃新講―白田劫石 述 「第3段(2)無相の相を相として往くも帰るも余所(よそ)ならず ー人間禅叢書第6編 文責 豊橋禅会IT担当 田中宗晃)
人間禅 会員各位
冠省
7月15日(土)から7月22日(土)まで厳修されました第204回中央支部摂心会において
下記、道号授与式が執り行われましたので皆様にお知らせ致します。
あわせて円了後の集合写真を掲載します。
(道号授与)
会員番号 1676 由木居士 道号「石水(せきすい)」 7月22日
中央支部長 大谷竜穏
(代筆 張替剣外 )
(8月はもう初秋です)。秋の季語は?
秋 |
生き物 |
赤とんぼ、いなご、馬肥(うまこ)ゆる、かまきり、雁(かり)、啄木鳥(きつつき)、きりぎりす、こおろぎ、鮭(さけ)、さんま、鹿(しか)、鈴虫(すずむし)、とんぼ、ばった、ひぐらし、虫、渡り鳥 |
植物 |
朝顔、いちじく、柿(かき)、菊、きのこ、桐一葉(きりひとは)、栗(くり)、鶏頭(けいとう)、すいか、すすき、つた、どんぐり、なし、野菊(のぎく)、萩(はぎ)、花畑(はなばたけ)、彼岸花(ひがんばな)、ぶどう、ほおずき、松たけ、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、紅葉(もみじ) 、桃(もも)の実、りんご |
気象・天文など |
朝冷(あさび)え、天の川、稲妻(いなずま)、いわし雲、霧(きり)、さわやか、残暑(ざんしょ)、月、露(つゆ)、流れ星、野分(のわき)=台風、冷(ひ)ややか、星月夜(ほしづくよ)、三日月(みかづき)、名月・明月、夜寒(よさむ)、夜長(よなが)、流星(りゅうせい) |
行事・生活など |
十六夜(いざよい)、稲刈り、運動会、案山子(かかし)、刈田(かりた)、障子(しょうじ)はり、十五夜(じゅうごや)、相撲(すもう)、七夕(たなばた)、月見、二百十日(にひゃくとおか)、墓参(はかまい)り、星祭(ほしまつ)り、盆踊(ぼんおど)り、迎(むか)え火 |
人間禅オール東海(名古屋支部・岐阜禅会・豊橋禅会・三重四日禅会)は、女性部・俳句部との合同で、岐阜洞戸道場にて参禅会を行います。
今回は俳句吟行会が予定されております。一人でも多く俳句に親しんでいただく為に俳句部よりご案内をさせていただきます。
俳 句 会 ご 案 内
下記の要領で俳句会を行います。吟行会に参加されます方には、その時ご説明させていただきますが、吟行会に参加できない方や不在の方にも、是非一句でも投句をお願いいたします。
そして懇親会にご参加ください。
恥ずかしがりやのあなたの一句をお待ちいたしております。楽しいこと請け合いです。
豪華景品も用意しております。
会 場 : 岐阜洞戸道場(〒501-2816 岐阜県関市洞戸大野975-2)
日 程 : 近隣吟行(外を歩き作句) 8月11日14時~16時 その後座禅45分
当 日 19時より摂心会懇親会と俳句披講
会 費 懇親会費 円
約 束
・ 当季雑詠(夏及び初秋)一人五句まで
(吟行に参加できない方は下の枠内に作品を記入し、当日16時までに林玄妙まで 1句でもお出し下さい)。
・参考季語集 別紙参照
次のことに注意しましょう。
・五・七・五に当てはめて季語を入れる。
・説明しすぎない、難しく言わない、理屈をこねない、
言いたいことは具体的に、主人公をはっきり など。
・名句はやさしい句が多い。
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作 品 |
名 前 |
1 |
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5 |
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季 語 集
夏 |

生き物 |
青がえる、雨がえる、鮎(あゆ)、蟻(あり)、うなぎかたつむり、かぶと虫、金魚、金魚売り、黄金虫(こがねむし)、せみ、はえ、初鰹(はつがつお)、ほたる、ほととぎす、みみず、めだか |
植物 |
青葉、紫陽花(あじさい)、あやめ、いちご、卯(う)の花、うり、早苗(さなえ)、菖蒲(しょうぶ)、新緑、たけのこ、なす、葉桜(はざくら)、万緑(ばんりょく)、ひまわり、牡丹(ぼたん)、ゆり、若葉 |
気象・天文など |
秋近し、暑さ、風かおる(風薫る)、雷(かみなり)、雲の峰(みね)、薫風(くんぷう)、五月(さつき)晴れ、五月雨(さみだれ)、涼風(すずかぜ)、涼しい、梅雨(つゆ)、梅雨明け、虹(にじ)、西日(にしび)、入梅(にゅうばい)、日盛(ひざか)り、夕立、夕なぎ、夕焼け |
行事・生活など |
青田、うちわ、扇(おうぎ)、川開き、帰省(きせい)、行水(ぎょうずい)、金魚売り、草取り、こいのぼり、ころもがえ、田植え、端午(たんご)、端午の節句、登山、土用(どよう)、土用波、花火、日傘(ひがさ)、昼寝、風鈴(ふうりん)、吹き流し(こいのぼり)、短夜(みじかよ)、麦刈(むぎか)り、麦(むぎ)の秋、 麦秋(むぎあき、ばくしゅう)、虫干し、山開き、浴衣(ゆかた) |
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岐阜洞戸・人間禅東海合同坐禅会(摂心会)
H29.8/5(土)〜12(土)☆初心者大歓迎☆





岐阜洞戸・人間禅東海、人間禅女性部、俳句部合同坐禅会(摂心会)開催のお知らせ
社会人のための禅道場、人間禅岐阜洞戸座禅道場では、名古屋禅道場・岐阜・三重四日市・豊橋禅会、人間禅女性部、俳句部合同摂心会(坐禅会)を開催します。
臨済宗の正脈の師家を拝請し参禅(独参)して古来からの公案によって転迷開悟を図ることが出来る摂心会で、一般社会では単なる座禅会と認識されていますが、正脈の師家への独参ができる会は、東海地区では我々在家の禅「人間禅」だけであります
老若男女、サラリーマン、学生さんから主婦、お年寄りまで、座禅は初めてと言う方にも親切に、初歩からご指導致しますのでお気軽にご参加、お待ち申し上げます。
初めての方の参禅とは;
我々人間禅の総裁師家・葆光庵丸川春潭老師が1人1人面談の上、参禅願を提出し独参を許されると公案を頂きその見解を呈して、その深浅邪正を判別して指導を頂きます。
☆日時:平成29年8月5日(土)18:00
~8月12日(土)15:00まで
☆場所:岐阜県関市洞戸大野、岐阜洞戸(旧東海)坐禅道場
☆師家; 人間禅総裁・葆光庵丸川春潭老師
☆提唱;十牛の図 金剛庵粕谷要道老師


クルマでの交通案内ー東海北陸道 美濃インター下車20分または岐阜市街から256号線北へ40分
カーナビで・・・目的地「人間禅岐阜洞戸(旧東海)坐禅道場」またはTEL:0581-58^7014で検索下さい。

7月25日の 禅語です
茶に逢えば茶 飯に遇えば飯
お茶を出されれば感謝してお茶を飲む。裏から言えば お茶が無ければ茶を飲まず。広く言えば 酒に逢えば酒を飲む。喜びに逢えば笑う。
人生の万縁万境に対処して些かの執着も無く、その時々の条件に反応して、自由無礙に生きる禅者の境涯
5日(土)結制日(初日)18時集合、12日(土)円了日(最終日)15時解散、以外の平日の日課はおおむね以下の通りです。
5:00 起 床
5:30 静 坐
6:30 参 禅
7:30 朝 食
8:30 作 務
10:00 作務止め
10:30 静 坐
11:30 参 禅
12:15 昼 食
14:15 作 務
16:30 作務止め
17:00 静 坐
18:00 夕 食
19:00 講本下読
19:30 提 唱・講後参禅
22:00 開 枕
上記の坐禅の時間はいつからでも参加することができます、お気軽にお問い合わせください。
また、今回は法話として、8月10日19時半より、葆光庵丸川春潭老師が「新説 絶対樹・相対樹」を話されます。
講演会としては、8月11日(祝)8時半から、周黄玉氏が「EVERYDAY ZEN IN ATAMI」と題して、御自身が自宅に持つ道場「膳心庵」での出来事をお話しいただけます。
万障繰り合わせて是非、ご参加くださいませ。
お待ちしております。(岐阜禅会真道)

第1回豊橋禅会 坐禅会(参禅会)のご報告
人間禅豊橋禅会では、第1回豊橋禅会参禅会を人間禅総裁・葆光庵丸川春潭老師を会場の豊橋市金西寺に拝請して7月13日(木)~16日(日)にかけて社会人の為の坐禅会(参禅会)を開催しました。
16日日曜日、連日来の空梅雨気味猛暑の中
無魔円了しました、会期中は豊橋創造大学の島田大助先生には「 新発見!織田信長、本能寺の変にまつわる資料を読み解くー信長新資料」についての講演を賜り、また高崎正雪ご住職ご一家のご参加、房総支部より中野曉山居士ほか、名古屋禅道場の龍光庵蓑輪清稟(みのわせいりん)道場長はじめ、多治見静坐会・岐阜禅会渡辺玉蘭禅会長、小川韶春四日市ときわ夜一番遅い水曜坐禅会長、熊谷竜安三重久居日曜坐禅会長、遠藤大剣金西寺静坐会長他、名古屋支部、三重四日市、岐阜、豊橋各禅会のみなさまのご参加、ご支援をいただき盛会のうち終了することができ、感謝感激でございます。
8月6日からは1週間、関市洞戸大野、岐阜洞戸坐禅道場で開催される、人間禅俳句部・女性部合同、オール東海参禅会(坐禅会)にむけて企画準備など全力投球しております、大勢のご参加をお待ちしております。初心者大歓迎!!
豊橋禅会長 道照庵高田玄徳 合掌
新たな織田信長像が見えてくるかも!?


この度人間禅三重四日市禅会では、第1回1泊2日坐禅会(参禅会)を開催します。臨済宗の正脈の師家を拝請して古来からの公案によって.転命開悟を図ることが出来る参禅会で一般社会では単なる坐禅会と認識されていますが、正脈の師家への独参する会は三重一円ではわれわれ人間禅だけであります。
老若男女、学生さんから主婦お年寄りまで、坐禅は初めてという方にも親切に初歩からご指導致します。
小中生も保護者同伴でお気軽にご参加下さい。
日時 平成27年9月2日(土)午前10時〜3日(日)午前9時
会場 四日市市少年自然の家(現地集合、現地解散)
法話 動画「ブレない生き方4」
提唱 坐禅の効果効用+
師家 人間禅師家 金剛庵要道老師
日課 入所式、オリエンテーション(座禅・数息観指導)、坐禅、経行、懇談、参禅、提唱、呈茶、食事、清掃、入浴、茶話会など
用意するもの 洗面具、着替え、身の回り品など
会費 5000円
交通 公共交通機関をご利用の場合はJR四日市駅または、近鉄四日市駅から三重交通バスをご利用ください。JR四日市駅→近鉄四日市駅→少年自然の家口宮妻口行き 系統番号61(室山行き)または65(笹川通経由)に乗車
お問合せ先:田中孝幸(太玄) 080-2618-1421 ttnk10@yahoo.co.jp
小川友之(韶春) ℡080-6920-6043
メール to-ogawa@private.email.ne.jp
数息観(すうそくかん)のすすめ
坐禅(座禅)の仕方も正式な坐り方や、簡易の椅子坐禅もありますが、それは会場で体験して頂くとして、「数息観」について事前に説明させていただきましょう。
数息観とは?
§ 数息観とは、坐禅を組んで静かに自分の呼吸を数え三昧(梵語のサマデイーに由来する精神の集中状態)に入る修行の方法で、乱れ散乱している心を鎮め、三昧の力を養います。
数息観は、一見簡単なように見えますが、実は容易なものではありません。
「数息観は坐禅のもっとも初歩であるが、
またもっとも終極である」と言われる所以(ゆえん)です。
§ (数息観の仕方)
自分の自然な呼吸を心の中で数えます。始めの息を静かに吸いながら「いー」と、その息をそのまま受けて吐きながら「―ち」と数えます、つまり、一呼吸(吸う息と吐く息)で「いーち」です。
次の吸う息と吐く息をもって「にーい」と数え、
次の呼吸を「さーん」と数えてゆきます。
そして、百まで数えます。
百まで数えたら、また「いーち」に戻って繰り返し行います。
線香一本分の数は、個人差はあると思いますが、大体「二百五十~三百五十」くらいです。
数息観は以下の条件を守って行ってください。
§ まず、数を間違えない
§ 雑念を交えない
・上記2点に反したら、「いーち」に戻って数えなおす
この条件を満たしていることが『数息観』なのです。
この条件を満たすように数を数えていくと、中々数え切れずに途中で嫌になるかもしれませんが、それが修行なのです。
(二念を継がず)
数息観を行う上でよく言われることに「二念を継がず」と言うコツがあります。
この意味は雑念を相手にしないと言う事です。
すると、その雑念は「スゥー」と立ち消えてゆきます。
数を数える以外の周りの出来事に思いを巡らす(二念を継ぐ)と、次、そしてまた次と雑念が次々と起きてきます。
そうなりそうな時には「深呼吸をやや深く、大きめに取りながら」数息観に没頭します。
「ひたすら数を数えることを信じて疑わない」事が大切です。
(三昧-ざんまい)
三昧とは「心をいっさいに任せて、散乱させない」事です。
心を「今、当面しているひとつの事に集中させる」のです。
この三昧を基礎から身につけるための方法が「数息観」なのです。
嬉しいときには「嬉しい三昧」、悲しいときには「悲しい三昧」。
いつでもどこでも「三昧・三昧」の日常生活ができれば、人生、これほど快適なことはありません。学問研究、学業、学習、事業、仕事でも武道、スポーツ競技でも、三昧になれば効果は抜群に現われます。
§