メインメニュー
ブログ カレンダー
« « 2017 2月 » »
29 30 31 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 1 2 3 4
カテゴリ一覧

ブログ - 201702のエントリ

小川韶春です。

群馬の高崎座禅会の宮川剣岳居士が関わったテレビドラマ「新陰流 上泉伊勢守信綱 」が3月3日夜7時〜9時、BS朝日にて放映されます。
 
剣岳居士が剣術指導したとのこと。
 
剣岳居士と私は群馬で5年間一緒に新陰流の稽古と座禅会をした仲です。
 
撮影は群馬県内がほとんどということで、ぜひ多くの人に見て欲しいところです。
 
私は残念ながらBSを契約していない上、岐阜摂心会参加中なので、リアルタイムで見ることはできません。
 
多くの人に新陰流と群馬を知ってもらうためにも情報拡散をお願いします。
 
 
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (163)
「快楽の味は短くて苦痛である」禅道場の仏教講座②
  • 釈尊の誕生と出家まで
「お釈迦様ものがたり」によると、
釈尊は、約二千六百年前、インドに誕生された。
父を浄飯王、母はマーヤ夫人といい、住む城をカピラ城その国名をカピラエ国と言った。
ヒマラヤ山麓に位置したコーサラ国カピラヴァストゥ、ちょうど、千葉県程度の広さの国であり、決して大国ではなかった。
部族名を釈迦族と言い、釈尊はそこに君臨する国王夫妻の王子として生を受けられた。
久しく子供に恵まれなかった夫妻であるが、白象が体内に入る夢とともに懐妊した。
出産が近づき、居住するカピラ城から、行列を連ねて、
夫人の実家であるくり城に向かわれる途中、ルンビニー園という花園で休息し、そこに咲く、純白で香りの良い無憂樹が、余りに綺麗であったので、一枝、手折ろうとされたとき、急に産気を感じ、王子を出産されたのである。

             
  
ときに四月八日、百花繚乱の花園にちなんで、釈尊の誕生を祝う行事を「花まつり」と称するようになった。
そのままカピラ城に戻られたマーヤ夫人は、難産だったため、産後七日目にして逝去しておられる。


待望の太子に恵まれた浄飯王は、悉達多(ゴータマ・シッダルタ)太子と命名した。
その喜びから、占い師のアシダ仙人を招いて太子の将来を占わせた時、太子を一目見た仙人は、思わずホロホロと落涙した。
王は「不吉な涙を見せるとはけしからん」と激怒したが、仙人は言う。
「この太子さまは、ただ人ではありません。
王位を継承されれば、世界を治める転輪王となられましょう。
出家されれば、必ず、無上の悟りを開かれるでしょう。
どうもそちらになられるように感じますが、すでに余命のない私は、この方が,無上の悟りを開かれ、尊い教えを説かれるのを聞かずに死んでゆかねばならないのです。
それが残念なのです。」と。
 
  • 誕生(スッタニパータから)その二
 
スッタニパータは原始仏典の中で最古のものとされる、パーリ語で書かれた経典です、「経集」と訳されて、長短さまざまな経典を集めて5章にわけられています。
 
その中に、釈尊の後年の述懐として、次のような一節があります。
「「私はいとも快(こころよ)く、無上に快く、きわめて快くあった。
 わが父の邸には蓮池が設けられてあった。
・・・・わたしはこのように裕福できわめて快くあったけれども・・・・・自分こそ老いるのを免れないのに、老衰した他人を見ては悩み、恥じ、嫌悪するであろう____このことは私にとってふさわしくない、といって、私がこのように観察したとき、青年時における青年の意気はまったく消え失せてしまった。
・・・・・・病人、健康の意気・・・・死、・・・・生存の意気はまったく消え失せてしまった。」と。
 
この釈尊の述懐の意味するところは、前段で述べましたように、ゴータマ青年が生後7日で母親を亡くし、義母に育てられ子供のころから生存の悲しみをすでに知っていたからではないでしょうか。
 王族の一員として、優雅な暮らしに幼児期から慣れていたが、それは心からの幸せにつながらないことに気ずいていたなど、種々の条件が後年の発菩提心につながってゆくのだとおもわれます。
 考えさせられるのは、人はそれぞれの固有の因縁にもとずいていながら、その因縁、生育の環境がその人の思考、行動を生起させてゆくものだからです、これは3児の母としての20数年のささやかな私の体験からも思い知らされるところでもあります。
 そしてまた、澄んだ真直ぐな青年の心根(しんこん)、こころねで、避けたいこと、認めたくないことも正視して、避けない態度ですべてを受けとるように育ったゴータマこそ、そこに道は開けてゆくものだからです。
すべてのことを直視してゆく以外に道はひらけないのです。
ダンマタパにはこのような詩があります。
「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。__快楽の味は短くて苦痛である__と知るのが賢者である。」と。
 
註)ダンマタパ
ダンマタパ(法句経―Dhammpada,パーリ語―真理の言葉の意。原始仏典の一つ。パーリ語で書かれた全編423編の詩。仏典の要義を約説している)
 
(慧日庵老禅子の擇木道場仏教講座より引用)




慧日庵笠倉玉渓老禅子
 
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (165)
第6回三重四日市禅会参禅会のご報告
 
太玄です。!!

第6回三重四日市禅会参禅会が2月26日(日)、四日市諏訪町、四日市総合会館8階和室で人間禅師家金剛庵要道老師を拝請して、午前9時〜午後16時30分の時間設定で行われました。内容は坐禅、数息観講習、参禅、呈茶、茶話会、で前回の記録的降雪の天候と異なり、平年並みの穏やかな小春日よりとなり、北の方角に雪を頂く養老山地を望む8階和室で厳しい静寂と和気あいあいの交叉する中でなごやに終了しました。前回の四日市ときわ水曜坐禅会に入会された三重大学医学部学生の大川さんが海外短期研修中で、帰国される次回の会がお楽しみです。
 参加者は津市久居の熊谷竜安居士、小川韶春四日市ときわ水曜坐禅会長、田中太玄三重四日市禅会長、谷津真道岐阜洞戸坐禅道場長でした。
次回第7回は3月12日(日)です。初心の方大歓迎


  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (116)

森へ行きましょう!

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2017/2/25 15:29
 三重四日市禅会の小川韶春です。

前回はじめてブログ投稿した時に、この名乗りにビックリマーク!がついていて、ブログに掲載してくれた管理者さんがつけたのだと思うのですが、投稿内容に鑑みて少々、びっくりしました。
(今回は積極的にタイトルにつけました!)

 さて、先週日経新聞夕刊に連載されていた川上弘美氏の小説森へ行きましょう が完結しました。
ルツ(留津、終盤には他の表記も)の異次元で並行する人生が綴られていて、主観と客観がおり混じった描き口を毎日楽しみに読んでいました。

 前半の大学生時代までは、自分の学生時代の恥ずかしいことなどを思い出してしまうため、あまり読まなかったのですが、結婚をするルツとしない留津の対比のあたりから、私としては俄然面白くなり、平日夕方のちょっとだけの読書時間を楽しみにしていたのです。

 この異次元で並行する同一人物(?)の二つの人生(終盤ではもっと多く)を川上さんのちょっとした皮肉のある文章を通して読んでいくと、自分の、あるいは身近な人の、あったかもしれないけれどもそうならなかった人生の形を想像して、楽しくなったり、切なくなったりしました。

恋愛、家族関係、そして個人的な日常が多面的に描かれ、そのあらけない顛末まで描かれてしまう。面白かったです。

 ところで、もう亡くなられた老師が晩年、僧伽(人間禅のこと)は森のようだ、と何かの式典の時におっしゃったことを思い出します。

微生物から、大小の動植物がいて、一大生態系をなしているという意味合いで言っていましたが、そのひとりひとりの人生もまた、様々な構成物を内包した森のようなものであり、仲間である先輩後輩同輩をみても様々な可能性の中から今ここにあることを考えるとそれもまた一個の森のように思えます。

 大学を卒業してからおよそ四半世紀、私自身は同じ会社に勤め、同じ期間、人間禅にも所属し続けていますが、周りには、同様に続けている人、やめた人、また再開した人とか色々な人がいます。
それぞれがそれぞれの味わいを得ているのだろうなと思うのです。

自分自身も、いろいろ違った人生があったかもしれない、またこれからどんな展開があるかもしれない、と夢想しつつそういうものを踏まえて今現在に全力を尽くすのも、広くて深い味わいがあるものと思っています。

 今週も(また来週も)座禅会があります。
古い仲間、新しい仲間といっとき同じ空間を共有しながら、自分自身を確かめていく。

 また、森へ行きましょう。


  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (209)


 
「きても見よ甚兵衛が羽織花ごろも」禅者芭蕉読本⑦

 当時の俳書「続山井」「如意宝珠」「大和順禮」「山下水」などの芭蕉の俳句は貞門の風潮に終始していたが、寛文(1661〜1673)の末頃には、新しい展開が始まる。
 俳諧の通俗性と自由性に対して、更に徹底的に開放を求める談林の新風運動がおこった。
延寶(1673〜1681)年代になると、一般的な動きとなって、宗因門下の新鋭たちが活発な革新運動の機運を示していた。
 芭蕉は貞門のなかでも穏健な季吟に師事していたが、感受性の豊かな若者宗房(芭蕉)もこの新風にひかれていた。
 京都遊学から郷里伊賀上野に帰った宗房は最先端を行く熱意で撰んだのが「貝おほひ」一巻であった。
「貝おほひ」は寛文十二年正月二十五日、伊賀上野の鎮守菅原社に奉納した三十番の発句合わせで、芭蕉の処女撰集であった。
板行されたのは江戸へ東下する後で、発句合わせが成ったのは正月二十五日より後のこととされている。
つまり江戸への東下の際の置き土産と従来の自己の俳諧に対して新味を出そうとしたものとおもわれている。
「貝おほい」の序文によると、当時の小唄や流行の言葉を使い、仕立てた発句を左右に配してその優劣を判じている。
芭蕉自身の句を合わせた九番と二十番をあげて、その様子をみると、

左、(勝)              露節
鎌できる音やちょい 々 花の枝
 
 右                  宗房
きても見よ甚兵衛が羽織花ごろも


                   
                     陣羽織(ウキペディアより)

芭蕉の原文の解説は次のように始まる。
左、花の枝をちょい 々 とほめたる作意(作者の意図)は、
「ちょいちょい」とは江戸初期の頃、歌舞伎の野郎(少年俳優、役者)などを褒める場合によく言われていた、ものを嘆賞する言葉で、句ではそれを鎌できる音にかけたのである。
甚兵衛羽織は丈の短い尻の裂けた羽織で、小唄の文句にでてくることがあった。
「きても見よ」は「着てみて」と「来て見て」と書く。
誠に俳諧の親〃(優れている意味、見本、手本―「この中にこの子の親はいないか?」は当時の子供の芸を褒める言葉、現代の親の顔が見たい、の反語か)
ともいわまほしきに、右の甚兵衛が羽織は、きて見て我折りや(我を折る、とは我を張るのを曲げて従うこと。「我を折りや」は「我を折れよ」である。「きて見て我折りや」も小唄の文句で、この句に対して閉口せよ、降参せよ、との意をきかせた。)といふ心なれど、一句の仕立て(染め出す、と共に羽織の縁語)もわろく、染め出す言葉の色もよろしからず見ゆるは、
愚意(愚見―謙譲語)の手づゝ(稚拙、不器用)とも申すべく。
そのうへ左の鎌のはがねも堅さうなれば、甚兵衛があたまもあぶなくて、負けに定め侍(はべ)りき。(そんな次第で儂の負けとなってしまいましたワイ。ーわしが悪かった何卒命ばかりはご勘弁をか?) 
 
(三重四日市禅会俳句部)
 
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (135)
早朝坐禅inサンポーコーポレーション
 
おはようございます。巨巌です。

関東のほうでは、春一番が吹いたようで、だんだんと春が近づいてきていますね。しかし、本日岐阜は雪が朝から降っています。私の自宅のある恵那市は結構降っているとか(単身赴任なので)
先週末は、来期の会社行事の一つ。ハーフウォーキングの試し歩き(22km)がありました。チェックポイントの確認や休憩場所等、みんなが安心して歩けるように確認で歩きました。日ごろ運動不足なので良かったです。
さて、今週の早朝坐禅の報告に行きます!
今週の担当は、本社(総務・経理)です。
参加人数は全部で9名です。
スタート!?と思いきや一名少し遅れている模様


 
 
いつも通り、般若心経でスタート
途中で、本田さんが遅れて登場
 
そして、静かに目を閉じて坐禅のスタート。みんな数息観ができている・・・かな?
外は雪が深々と降り静かに時だけが流れる。ピンッとした空気がはりつめています。
すると徐に助警が立ち上がり、堂内を廻りはじめました。
 


遅れてきたからなのか、助警が本田さんの前で立ち止まり、仕方なく合掌。
乾いた音が堂内に響きます。叩かれた本田さん スッキリした顔です。
 
本日の感想
本田さん:叩く音が思った以上に大きくてビックリしました。でも叩かれた後は、背筋がぴんと伸びて気持ちよかったです。
石原さん:叩かれる音が大きくて本当にビックリ。私は叩かれたくないと思いました。
 
今週はみんな叩く音の大きさにビックリしたようです。
その叩かれた人というのは、そうです。ツッチーです。
本日は2回も叩かれてご満悦でした。そのうち行き返りも叩かれ合計4回も叩かれるんではと思うほどの勢いですね。
 
本当に叩かれた後は気持ちよさそうな顔・・・・違う世界に行きそうなツッチーでした
 
来週は何回叩かれにいくのか・・・
来週の担当は FFギフ・さんぽです。
 
今週の観光スポットと味覚です。

「岐阜城」(岐阜市提供) と   マジカルチョコリング
フランスパン生地のデニッシュに、高級なチョコチップをたっぷりと散りばめローストクルミを混ぜ込みました。幅広い世代に愛されている岐阜一円の名物商品です。(sanpo HPより)
      
                  
     
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (111)
坐禅会にはじめてご参加の皆様へ
 
 
数息観(すうそくかん)のすすめ

坐禅(座禅)の仕方も正式な坐り方や、簡易の椅子坐禅もありますが、それは会場で体験して頂くとして、「数息観」について事前に説明させていただきましょう。

数息観とは?
  • 数息観とは、坐禅を組んで静かに自分の呼吸を数え三昧(梵語のサマデイーに由来する精神の集中状態)に入る修行の方法で、乱れ散乱している心を鎮め、三昧の力を養います。
    数息観は、一見簡単なように見えますが、実は容易なものではありません。
    「数息観は坐禅のもっとも初歩であるが、
    またもっとも終極である」と言われる所以(ゆえん)です。
  • (数息観の仕方)
    自分の自然な呼吸を心の中で数えます。始めの息を静かに吸いながら「いー」と、その息をそのまま受けて吐きながら「―ち」と数えます、つまり、一呼吸(吸う息と吐く息)で「いーち」です。

    次の吸う息と吐く息をもって「にーい」と数え、
    次の呼吸を「さーん」と数えてゆきます。
    そして、百まで数えます。
    百まで数えたら、また「いーち」に戻って繰り返し行います。
    線香一本分の数は、個人差はあると思いますが、大体「二百五十~三百五十」くらいです。
    数息観は以下の条件を守って行ってください。
  • まず、数を間違えない
  • 雑念を交えない
・上記2点に反したら、「いーち」に戻って数えなおす
この条件を満たしていることが『数息観』なのです。

この条件を満たすように数を数えていくと、中々数え切れずに途中で嫌になるかもしれませんが、それが修行なのです。





(二念を継がず)                        

数息観を行う上でよく言われることに「二念を継がず」と言うコツがあります。
この意味は雑念を相手にしないと言う事です。

すると、その雑念は「スゥー」と立ち消えてゆきます。
数を数える以外の周りの出来事に思いを巡らす(二念を継ぐ)と、次、そしてまた次と雑念が次々と起きてきます。
そうなりそうな時には「深呼吸をやや深く、大きめに取りながら」数息観に没頭します。
「ひたすら数を数えることを信じて疑わない」事が大切です。

(三昧-ざんまい)

三昧とは「心をいっさいに任せて、散乱させない」事です。
心を「今、当面しているひとつの事に集中させる」のです。
この三昧を基礎から身につけるための方法が「数息観」なのです。
嬉しいときには「嬉しい三昧」、悲しいときには「悲しい三昧」。
いつでもどこでも「三昧・三昧」の日常生活ができれば、人生、これほど快適なことはありません。学問研究、学業、学習、事業、仕事でも武道、スポーツ競技でも、三昧になれば効果は抜群に現われます。

(三重四日市禅会 IT 部)
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (132)

モラロジーと禅

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2017/2/18 7:06
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (104)
早朝坐禅inサンポーコーポレーション

巨巌です!!



今週も早朝坐禅のレポートをお送りします。
今回の担当はFB(フードブランディング)事業部です。パン屋・レストランの事業部ですね
 
本日の参加者は全部で9名
 
ん?何か一人だけ派手な服装の人物がいるぞ・・・
 
まるでブルースリーの様な服装です。
一応カンフーのようなポーズをお願いしました。
彼は、サンマルク岐阜美術館前店勤務。遠藤さんです。
 



まるで阪神タイガースのような色合いですが、彼は根っからの広島ファンです。車はもちろんMAZDA CX-5 広島カラーのレッド(限定?)です。
 
そんな彼に、本日の坐禅の感想を聞きました。
Q:本日の坐禅はどうでしたか?
遠藤:足にまめができていて、座るのがキツカッタデス・・・
   でも、時間内座りきりました。まさに“神ってる”坐禅でした
 
さすが広島ファン。最後もお馴染みのあのセリフでしめてくれました。今度も頼むぜ 最高でーす!!!
 
あれ?いつもの彼がいない・・・あの叩かれる事に快感を覚えたあいつ・・・そう思ったあなた。ご安心ください!
今週も居ます。そして叩かれてご満悦の表情でした。しかも本日はかなり強めに叩かれていました。

来週は、担当本社です。インフルエンザ等流行っています。みんさんもどうぞお気をつけください。
では、また来週まで・・・
 
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (141)

「平常心の形成」坐禅と最新脳科学⑰
 
 心の三原色、つまり三つの主要神経を心の三要素とするなら、ドーパミン神経を赤色、ノルアドレナリン神経は青色、セロトニン神経は緑色とみなすことが出来るのではとの有田先生の説を先に紹介しましたが、私達の感情を大別するなら、快と不快、好きと嫌い、報酬と罰、ポジティブとネガティブなどて構成されます。
 快の方では、食欲や性欲など、快に関係するドーパミン神経が中心的な役割を担っています。
 人間の行動意欲をかきたてる神経でもあります。
好きだからやる、褒めてもらえる、ご褒美がもらえるからやる、気持ちがいいからやる、というようにポジティブな心の状態と行動に関係するものです。
このドーパミン神経は五十年前に動物実験で自己刺激実験といって、ラットの脳に刺激用の電極を挿入して、ドーパミン神経だけを刺激できるようにセットする、刺激を与えるのはヒトであるが、自己刺激の場合、ヶ―ジの中にスイッチを置いて、ラット自身がたまたまそれに触れると、刺激が行くように仕組まれている。
もし、不快な刺激なら、二度と押さない。
快でも不快でもなければ、そこそこのスイッチ押ししか起こらない。
ところが、ラットは何回でも押し続け、やめようとはしない。
おそらく快を体験していると想像される。
ラットに直接聞きたいところである。
これには司法取引に類似した見返りを条件にヒトの自己刺激実験も実施され、性的快感がある事も確かめられています。
このような経過から、ドーパミン神経は「快の情動回路」と呼ばれるようになりました。
わたくしどもの脳には、快を積極的に求めるように神経回路ができあがっています。
人類という種が今日まで絶えることなく連綿と地球上で生き抜いて来れたのも間違いなく性の衝動と行動があったからです。
その性行動を積極的に推進させる神経回路をヒトの脳は備えているのです。
私ごとですが、十数年前の大病後も生き甲斐のひとつに子宝カウンセラーの会に依然として関わらせていただいて若い方がたのドパーと分泌されるであろうドーパミンに肖り、自身のアンチエイジング効果に密かに期待しているのでございます。

                                                                                              
                                                       
 
無得庵小川刀耕老居士揮毫「平常心是道」、、          色法混合、光の三原色 


余談はともかく、この快の情動回路にはおおきな問題点があります。
それはスイッチを押すのが止められないのです。
ドーパミン神経は際限なく快を追い求める方向にしか作用できない。
自己抑制がきかないように出来上がっています。
その行先は依存症です。
薬物依存、アルコール中毒、性の依存、過食症、ギャンブル依存など、あらゆる依存症にこのドーパミン神経、性の情動回路が関与しています。
この歯止めの効かない快の情動回路を抑制できるのが、従前より、禅の修行によるその活性化の過程、方法、手段、効果効用を縷々述べ来たったセロトニン神経なのです。
一方、不快の方は、不安やストレス反応をつかさどるノルアドレナリン神経が中心的役割を果たします。
ストレスや痛みがなければ、いかにこの世は住みやすいかと悩むひとは思うでしょう。
しかし、逆に考えると、痛みを感じない、ストレスにきちんと反応できないということは、人間の生命にとってもっとも危険なことでもあります。
危険を察知できないで何も反応しないでいると、生存をかえって脅かすことになります。
ノルアドレナリン神経は脳内の危機管理センターのようなものです。
われわれはこの神経が存在するお蔭で、われわれが現代まで生き延びてこられたものと信じます。
ノルアドレナリンの警告によって、生体は様々な防御反応や行動を起こす。
危機管理センターの役割は、即座に適切に警報を発することで、ストレスに敢然と立ち向かう強靭な心と体を作りだすことではないのです。
しかし、たいした危機がないにかかわらずおおげさな警報がひんぱんに出ると、かえって困ったことになります。
それがパニック障害や不安障害の場合です。
危機管理センターの働きに対して、ある程度受け流す忍耐力も時に必要とされます。
セロトニン神経はノルアドレナリン神経にたいしても抑制をかけて、ちょっとしたストレスには動じない心の状態、いわゆる禅の境涯、平常心を形成するのです。
 


 
(西岐阜静坐会主宰、前岐阜洞戸坐禅道場長、日本中医薬会会員 葛西松堂 講演より)

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (141)