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ブログ - 201612のエントリ

こんにちは!!巨巌です
今週もサンポー早朝坐禅会の報告です。というか来週は私が欠席のため、年内の報告は今回で最後となります。
それでは報告します。
本日の担当は、FFギフエリア、シニアフィットネスさんぽです。
参加者は10名です。(写真今回パノラマです)
 
右端ツチノコツッチー(ニックネーム)も朝2時まで清掃の仕事でしたが参加してくれました。
でもさすがに眠たかったのか2回とも気合をいれてもらってます。


 
 
 助警の警策を受けて背中の筋肉の強張りをほぐしてもらっています。右、は真向法体操です。
  
参加者の声

服部錦繍居士:今日は、数を数えることもせずに、無を意識しました。(そもそも違いますが・・・)結果、
       法界定印が崩れるという失態をしてしまった。しかし、10人と人数が多かったのはよい事です 
       ね。来年もがんばります!!
土屋さん  :朝まで仕事をしてましたが、遅刻してしまったことが悔やまれます。修行と思って来週も参加
       します。
 
来週担当はFF西濃・環境衛生事業部です。来年1回目の報告は1/10(火)FB事業部です。今年も1年ありがとうございました。では28.29日 徹宵坐禅でお会いしましょう!!
 
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仏・解脱・智慧に帰依する「仏の境涯を得るために何を?」在家の禅「勝鬘経」の世界⑫
 
  • 如来の妙色身は、世間に与(とも)に等しきものなし、無比なり不思議なり、この故に今敬礼(きょうらい)したてまつる。
  • 如来の色は無尽なり、智慧も亦復た然なり、一切の法は常住なり、是の故に我れ帰依したてまつる。
 
 
前回を少し復習しますと、、妙色身とはこの世の真理・大法を体得して、大法において自在の働きをなす者のことで、ここまで到達すれば、生身の釈尊のみならず、誰でもみな仏です。
 このように大法を成就した仏(境涯)の偉大さに勝鬘夫人は讃嘆し、敬礼(きょうらい)したてまつる、つまり帰依するというのです。

 二節目の如来の色、つまり形あるものは無尽、つきることがない、如来の智慧も無尽であり尽きることがない、そして一切の法は常住なりと言っておられるように、無常の法から常住真実の大法へ脱皮した上で、大法の偉大さ、その大法を成就した仏の偉大さに対して、讃嘆し、敬礼(きょうらい)したてまつり、帰依するのである、と。



現代の勝鬘夫人たち・・・・・・・・・・・
 
 
 
    ・ 心の過悪と及び与身の四種とを降伏して、巳に雌伏地に到りたまえり、是の故に法王を礼
      したてまつる。   
  • 一切の爾炎(にえん)を知り、智慧身自在にして、一切の法を摂持(しょうじ)したまえり、是の故に今敬礼したてまつる。
  • 過称量を敬礼し、無譬類を敬礼し、無辺法を敬礼し、難思議を敬礼(きょうらい)したてまつる。
     
     
    心の過悪は精神的な悩みや(貪・瞋・痴―とん・じん・ち)を指し、身の四種とは肉体的な方面で、生老病死の苦悩をいったものです。
     雌伏(しふく)地とは煩悩のために迷わされない仏果(ぶっかー悟り)を指します。
     したがってこの第三節の意味は精神的・肉体的に煩悩を解脱して、いかなるものにも面(つら)出しを許さない雌伏地の境涯を得た仏に帰依するということで、聖徳太子の言われるように解脱の讃嘆とみてよいでしょう。
     つまり仏の境涯を得るために解脱しなければならない。
     仏法を転迷開悟の教えというのはこのためです。
    ではどのように解脱するかというに、迷いを転じて悟らせるのが仏の大智慧(般若)です。
    そこで第三に夫人は般若を礼讃し自利・利他一切の仏智に帰依することを誓われたのです。
    第四節、爾炎(じえん)というのは梵語のジュネヤア(jneya)で智母と訳されます。

    以上、仏智によって解脱し、仏になる誓いをたて、仏と解脱と智慧の三徳を総括して帰依することを表明されたのが第五節に当たるのです。
    過称量・無譬類・無辺法・難思議の語はいずれも仏のことをさしていうのですが、それは比類なく際限なく計り知れない仏身・智慧・解脱の三徳のことです。
     こうして初めに仏の三徳に帰依する誠を披歴(ひれき)された勝鬘夫人は、単に讃嘆するだけでなく、自ら歩を進めて、大乗を修得するため仏の救護を願うのですが、救いと言っても自己を離れて他に求めるものではないのです。


    帰依については、人間禅では三帰文(さんきえもん)として次のように、かかげています。

    本覚の心性 是れわが仏陀(ぶっだ)なり 
    如是の活法 是れわが達磨(だるま)なり 
    親和の人間禅 是れわが僧伽(そうぎゃ)なり 

    我れ今 仏陀に帰依し竟(おわ)れり 
    我れ今 達磨に帰依し竟れり 
    我れ今 僧伽に帰依し竟れり

     
    (小野円照著「勝鬘夫人の告白」より  三重四日市禅会IT部)

     
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「得意の時と思うようにならない時」宗演禅師菜根譚講話(十)

恩裡(おんり)由来(ゆらい)害(がい)を生(しょう)ず、故(ゆえ)に快意(かいい)の時、須(すべか)らく早く頭(こうべ)を廻(めぐ)らすべし。
 
敗後(はいご)或(あるい)は反(かえ)って功(こう)を成(な)す、故(ゆえ)に拂心(ほっしん)の處(ところ)、便(すなわ)ち手を放(はな)こと莫(なか)れ。
    
                 

     正月は 冥途の旅の 一里塚 目出度くもあり めでたくもなし いよいよ年末年始 来年も   七転び八起き、三歩進んで二歩下がる? で行きましょう、写真は高崎名物の起き上がり小法師「達磨」です(JR駅前商店街のものと、鉄道警察前の\縁起ダルマ、鉄道警察のほうはなぜか黒いのです)  
  (高崎坐禅会より)                  
                             


恩裡(おんり)は、恩恵を蒙(こうむ)っているうちということで、君主とか主人、親方、社長、オーナーとかの寵愛(ちょうあいー恩義)を受けて得意(とくいー順風万帆)であるときには、早く頭(こうべ)を廻(め)らして前後左右を顧(かえり)み、十分注意を拂(はら)っていないと、すべからく災害は多くの場合こんな時に生じてくるものです「好事魔多し」ご用心ご用心!。。

由来(ゆらい)は従来と同じで、「昔から」ということ。
快意(かいい)の時とは、得意(とくい)の時というに同じ。
拂心(ほっしん)は快意(かいい)の反対で、思うようにならないこと。
 
おおよそ失敗は成功を生む母で、真の大手腕(だいしゅわんー素晴らしい能力)は、このような失敗を重ね重ねて苦労する中(うち)に養成発現するのである。
だから、「敗後(はいご)或(あるい)反(かえ)って功(こう)を成(な)す。」と言ったのである。
 
思うように事業がならないといって、決して落胆するのではなく、増々勇気を奮い起こしてやりかけた仕事はどこまでも手を放さず仕遂(しと)げる(仕上げる)精神で進むことが肝要ー肝心である。
手を放つとは、手を放して中止すること、つまり、中途挫折じゃょ。

( 岐阜洞戸坐禅道場図書室)
 
 
 
 
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「上京と処女撰集」禅者芭蕉読本⑥
 
寛文六年(1667)四月二十五日、主君蝉吟が二十五歳で没した。
 芭蕉は同年六月十四日、七十七日の忌明けを待って、高野山へ上り蝉吟の位牌と日牌を寄付したが、この後間もなくふるさと伊賀を出たものと、当時の資料から類推されている。

 郷里を出て、寛文十二年(1679)春までのあいだ芭蕉(当時の俳号宗房)はどこでどんな風に生活していたかの確かな資料は現在ないが、数年間は出版された種々の俳書に投稿があり、相変わらず俳諧に親しんではいたことが推定される。

芭蕉は主家を去って、京都に上り、しばらく俳諧の修行を志すことにし、かねてから蝉吟が師事していた季吟を師としたと同時に、漢学を伊藤田庵に、書を北向井雲竹に学んでいた。
、「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ。
そのかみ国分寺の名を伝ふなるべし。
ふもとに細き流れを渡りて、翠微に登ること三曲(さんきょく)二百歩にして、八幡宮たたせたまふ。
神体は彌陀(みだ)の尊像とかや。
唯一の家には甚だ忌むなることを、両部(りょうぶ)光をやはらげ、利益(りやく)の塵を同じうしたまふも、また尊し。
日ごろは人の詣でざりければ、いとど神さび、もの静かなるかたはらに、住み捨てし草の戸あり。
蓬根笹(ねざさ)軒をかこみ、屋根もり壁おちて、狐狸(こり)ふしどを得たり。幻住庵といふ。
あるじの僧なにがしは、勇士菅沼氏曲水子の伯父になんはべりしを、今は八年(やとせ)ばかり昔になりて、まさに幻住老人の名をのみ残せり。」

で始まる元禄三年(1690)の「幻住庵記」に「一たび士官懸命の地を羨(うらや)む。一時は士官登用の道を志した。とある。


いずれにしても、当時の芭蕉上京の心境は、将来武士として再士官して身を立てる一存もあったと想像されるが、最初の主君とのきずなとなっていた俳諧にも強く心惹かれるものがあったのだとおもわれる。



藤堂高虎像/個人蔵と上、伊賀上野城高石垣、水濠、西大手門(現存せず)(ウキペディア)

大阪の陣後の伊賀上野城

慶長13年(1608)6月、伊予宇和島城から築城の名手とされる藤堂高虎が伊賀に入国した。大坂城に対抗する以外にも、大和・紀伊を抑えるためにも高虎の力が必要となったと思われている。高虎は慶長16年(1611年)正月より、上野城を大幅な改修に着手、大坂方に対抗するために特に西方面の防御に力をそそいだ
慶長19年(1614)、元和元年(1615)の2度に渡る大坂の陣で家康の勝利となり、豊臣氏の滅亡で堅固な城が必要なくなり天守は再建されなかった。本丸に櫓は建てられなかったが、外堀の土塁上には、二層櫓が二棟、単層櫓が八棟、計十棟の櫓が建てられ、長さ二十一間、両袖に七間の多聞櫓をつけた東大手門、西大手門も建てられた。高虎は大坂の陣が終わった後交通、の便利がいい津城を本城とし、上野城を支城とした。
一国一城令で上野城は伊賀の城として存続が認められると、高虎は弟の藤堂高清を城代とし、高清の死後は元則が城代となり、文政8年(1825年)に高猷が最後の城主となった。



  •  当時の俳書「続山井」「如意宝珠」「大和順禮」「山下水」などの芭蕉の俳句は貞門の風潮に終始しているが、寛文の末頃には、新しい展開が始まる。
     つまり、俳諧の通俗性と自由性に対して、更に徹底的に開放を求める談林の新風運動であった。
    延寶(1673〜1681)年代になると、一般的な動きとなって、宗因門下の新鋭たちが活発な革新運動の機運を示していた。
     芭蕉は貞門のなかでも穏健な季吟に師事していたが、しかし感受性の豊かな若者宗房もひそかにこの新風には心寄せていた。
     自らも大いに最先端を行く熱意で世に示したのが京都から郷里に帰って撰んだ「貝おほひ」一巻であった。
     

    「貝おほひ」九番
    左                 露節

    鎌できる音やちょい 々 花の枝
                      
                       宗房

    きても見よ甚兵衛が羽織花ごろも  

      
     
                                      (三重四日市禅会 俳句部)
      
     
     
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S・ジョブズの愛読書、「弓と禅」 オイゲン・ヘルゲル講演集より

武道と禅ということに関していえば、維新の英傑で在家禅の推進者でもあり、剣道無刀流を編み出した山岡鉄舟居士を引き合いにもち出すまでもなく、平成の時代にはいって以来、当支部担当師家であられた人間禅宏道会小野派一刀流免許皆伝、寶鏡庵長野善光老師の存在は人間禅東海ブロックにとってもこの上なく大きいものであります。
 老師がかつて名古屋大学禅サークルで「武道と禅」のテーマで何回かにわたり、講演頂いた中で次のような内容が含まれていたことを記憶しています。
ドイツの新カント派哲学者オイゲン・へルゲル(1884〜1955)は大正13年(1924)、東北帝国大学に哲学教授として来日して、日本文化を理解しようと妻とともに日本画や生け花を習い、更に当時弓道の大家であった阿波研造師範に入門して、西洋人と日本人のものの考え方の相違に苦しみながら弓道稽古に励み、苦労と困難の末、六年後、師匠より五段を許され、ドイツに帰国後、講演や著書「弓術における禅」で、日本文化の根底に仏教や禅の精神性がある、と説いて日本文化の紹介に努めました。
その当時の講演録「武道と禅」は現代でも、シリア系アメリカ人で他社に先駆けていち早く携帯電話アイフォンを考案、発売したアップル社の創業者CEOで、日本文化に憧れ傾倒していたステーブ・ジョブズの愛読書にもなりました。
その中で阿波研造の教え「自分が的を射るのではなく、それが的を射るのである」、などの言葉を引いて、弓道の修行者たるものいやしくも稽古の前後には的に向かって心からの礼拝をすべきであると諌め、異国からやってきた弟子に全て隠すことなく、身を以て示し、ともに弓道の心技体を励行したと伝えている、これこそ、武道の極意伝授なのだと紹介しておられました。

            
Sawakami Waren  You Tube 弓と禅 オイゲン・ヘルゲルより

大悟十八度(たび)小悟その数を知らず

 維新前後武道に坐禅が日課として組み込まれていた時代、弓道の極意として「頭のてっぺんから足のつま先まで一本の銀の柱が入った」感じになれ。というのがあり、禅の公案工夫の際、「頭の素てっぺんから足のつま先までつっくるめて疑いの固まりになれ」というのと似ています。
また、昭和の角聖といわれた横綱双葉山は69連勝で、遂に勝ち星が途切れた日、取り組み後「我れ、未だ木鶏たり得ず」とのコメントを残しています。

 脳科学の立場からいいますと、坐禅と呼吸を重要視するいわゆる呼吸法、数息観は、心の修行だけでなく、姿勢筋や抗重力筋にも影響を与え、武道の上達に貢献しているものと考えられます。
 セロトニン神経が活性化されると、抗重力筋の持続的な緊張を増強させるようになります。
 抗重力筋には首を立たせる筋群、脊椎起立筋、下肢の伸筋群、顔面では瞼を引き上げる眼瞼挙筋、涎の流れるのを抑える咬筋などがあります。

 これらの抗重力筋の緊張がセロトニン神経の活動によって増強されるようになります。
 朝目覚めて、セロトニン神経が活動を開始して、持続的なインパルス発射が始まると、これらの抗重力筋を支配する運動神経を興奮させて、姿勢や顔つきをひきしめます。

 目が大きく開いて、口元がきゅっとひきしまり、顔全体がスッキリしてきます。
 これらの筋肉を緊張させる運動神経に対して、セロトニン神経は興奮性の影響を与えます。
したがい、顔や姿を見れば、坐禅の修行がどれくらい進んでいるか、一目瞭然です。

禅では「大悟十八度小悟その数を知らず。」と弟子たちに常に工夫を怠ることのないように、示した大慧禅師の故事もあり、また「男子三日会わざれば刮目して見るべし」という心境が素晴らしく向上する時期もあります。
セロトニン神経が常に活性している武道の達人ともなれば姿勢筋や抗重力筋が強くなり、腰の安定や体幹の軸をしっかり整え、結果的に武道で最も望まれるからだが出来上がるのです。

西洋医学では、運動選手に心肺機能やエネルギー代謝の面から筋トレを課しますが、武道において坐禅をするのは全く別の面から運動能力である姿勢筋、抗重力筋を鍛えていたということになります。
  

(西岐阜静坐会主宰、前岐阜洞戸坐禅道場長、日本中医薬会会員 葛西松堂 講演より)
 
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こんにちは 巨巌です。㋨(*_*)♥♥

12月13日(火曜日)師走十三日のサンポー早朝(7:30)坐禅会の報告です。担当は本社(総務・経理)です
参加者は7名
毎回、出頭墓を備えて記帳しています。
最近寒くて起きるのも大変です。が、いつもと変わらずみんな参加してくれています。今日(12/13)は岐阜県高山は雪が降っているようです
 
本日の感想
本田さん
 助警に注意されないよう、姿勢に注意してできました。いつもは背中が丸まってると注意を受けるので。ただ、そのことに意識がいってしまい、数息観はできなかった
石原さん
 気がついたら・・・坐禅が終了していました。(意識が無かったのか、数息観三昧かはご想像にお任せします)
 
来週は、FF事業部担当。年内残り2回です。
㈱サンポーコーポレーションについて詳しく知りたい方は下記へ
http://sanpoco.net/corporation
愉快な仲間たちのブログも好評なサンポコネットもぜひ見てください。




中、の写真は1階広間で坐り疲れて床に仰向けで寝ているのではありません、例の真向法をしているところです、窓の外は零下の寒い朝です、新人のゆかり君も頑張っています。
下は筆ペンによる早朝坐禅会各参加者の自筆署名、つまり本日の出頭簿です。
来る臘月28日,29日の本年のしめくくり、岐阜洞戸坐禅道場臘八徹宵坐禅会にもぜひ参加して岐阜洞戸坐禅道場の出頭簿にも署名したいものと一同決意を新たにしています。(投稿は三宅ー宮家の巨巌でした)
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三重四日市禅会蝋八坐禅会(参禅会)のご報告


12月11日(日)四日市市諏訪町四日市総合会館8階和室で午前9時から4時半までの設定で、講師、人間禅師家 金剛庵粕谷要道老師をお招きして坐禅会(参禅会)が行われました。

今回の坐禅会では田中太玄三重四日市禅会長に輔教師任命の証書授与式がありました。
 参加者は今回も子供たちの参加が目立つ坐禅会となりました。
前会に引きつづいて、二家族(久居の熊谷、櫻井両家4名の子供達、小2二名、6歳児2名がお子様坐禅タイム、呈茶座談会に挑戦しました。
6才の櫻井君はすでに裏千家茶道教室にかよっているとのこと。また小2の熊谷さんは東京オリンピック種目に決まった空手道の道場生で津市の空手道場で毎週修行中。
その他、人間禅東海HPを検索して若手イケメンの会社員黒沢さん、谷津真道 岐阜洞戸坐禅道場長、田中太玄 三重四日市禅会長、小川韶春 四日市ときわ水曜坐禅会長、熊谷竜安夫妻、櫻井さん夫妻、計12名のご参加でした。次回は1月後半の日曜日の予定です、皆様!!ご家族での奮ってのご参加をお待ちしております。(三重四日市禅会IT部) 
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人間禅有楽流のルーツ「茶禅一味(いちみ)とは?」⑨洗覚庵林蘭水(五葉会、光明会)
 
茶禅一味の会記念茶会(平成二十年九月二十二日、二十三日午前九時〜午後四時)、洗涯庵茶席(前・後半)―有楽流・濃茶席 洗覚庵林蘭水 中央大学五葉会 名古屋大学光明会(会場・千葉県市川市 人間禅道場、主催・茶禅一味の会記念茶会実行委員会)
 
 稽古前に参禅弁道に勤しみ、近代の南方録、禅茶録、、利休居士とも称される奥田正造先生、著作「茶味」輪読が教える茶道精神を生活の準拠として今後更に道場で、学内部室で、各自家庭で稽古を続けることにより、茶禅一味の精神を身近な持ち場から、少しでも広くそして、正しく、楽しく、仲の良い輪を世界に拡げて行ければと本日ご臨席賜った皆様にお誓いしまた感謝申し上げます。
 
会記
掛物 まるくまるくまんまるく 古田紹欽書
花入 自然釉 銘 一 松山祐利作

香合 熱田神宮古材 宝珠型 
釜  鬼面霰常什
結界 亀甲竹
水指 織部 数江鯰鮎子作
茶入 瀬戸 時代
茶杓 銘 阿字 西山蔵雲作
茶碗 心経茶碗 耕雲庵英山老大師作
 替 黒楽茶碗 磨甎庵劫石老師筆 水楽作
 替 大井戸 加藤六美作
建水 唐銅
蓋置 三島 数江鯰鮎子作
菓子 栗きんとん 松花堂製
 器 志野絵皿 城窯 柴田増三作
御茶 美濃の香 野原園詰



臘八の洞戸の南天と有楽流のお点前を習う有望若手禅子(本会茶席の写真ではありません)

有楽流のはじまりとその歴史

有楽流(うらくりゅう)は織田信長の、実弟織田長益(有楽斎)に始まる茶道の流派の一つ。
四男織田長政の系統の大和芝村藩、五男織田尚長の系統の大和柳本藩の家中で嗜まれ、現在は長政の末裔を宗家としている。また長益の次男織田頼長、その長男織田長好、信長の孫織田貞置と継承され、貞置以降のものを貞置流ともいう。
さらに、貞置の甥織田貞幹を召し抱えた尾張藩の家中に伝えられ、現在まで続く流派として尾州有楽流(びしゅううらくりゅう)がある。
 
歴史的にみると流祖・織田長益は織田信長の弟で、本王寺の変の後にまず信長の次男信雄に仕えて小牧・長久手の戦いの和議を成立させ、信雄改易後は豊臣秀吉に、秀吉没後は徳川家康に仕えた。
大阪冬の陣では大坂城方に就いて和議交渉にあたり、これが成立すると京都に隠居した。
茶人としては武野紹鴎を師として仰いだという伝承があり、本能寺の変の前後から活動が知られている。
有楽斎と号したのは秀吉に仕えてからと考えられている。
利休七哲の一人に加えることもあるが、七哲は秀吉から台子の相伝を受けたのに対して、有楽斎は秀吉面前で利休から相伝を受けるという別格に遇されている。
茶風としてはなにより「客を饗(もて)なす」ことを重んじ、ついで古人に倣って研鑽する中から創意工夫を生むことを良しとした。
その集大成ともいえるのが、隠居所として復興した京都建仁寺正伝院に設けた茶室・如庵である。
有楽斎の茶道は次男頼長、四男長政、五男尚長などに受け継がれた。
有楽斎は関ヶ原の戦い後に家康から加増を受け、摂津・大和に3万石を領する大名(味舌藩)となっていたが、長政と尚長に1万石ずつ分与し、残りを自身の隠居料とした。
おそらく後継者に考えていた頼長は元和6年(1621年)に先立ち、その長男長好を引き取るものの、相続はかなわなかった。

  
                                
淀君の叔父織田有楽(斎)と茶室如庵(現在は犬山市に移築されている、如庵は有楽の洗礼名ジョアンに由来するともいわれている。)

長好は茶人として名を成すが子女はなく、慶安4年(1651年)に没することでその血脈は絶えた。
織田貞置は織田信長の九男信貞の次男で1000石の旗本であったが、長好の没後に有楽流を継承し高家、として多くの門弟を抱えた。
貞置の系統を特に貞置流と称することがある。
貞置流織田家は高家旗本として幕末に至る。
貞置の甥貞幹は尾張藩に仕えて有楽流を伝え、歴代平尾数也(すうや)や粕谷家といった茶頭たちによって幕末まで伝えられ、現在も尾州有楽流として続いている。
一方、1万石の大名となった長政と尚長の家系はそれぞれ大和芝村藩・柳本藩として続き、有楽流を代々御流として伝えて幕末に至った。
明治維新後、家系はともに子爵家として存続したものの、有楽流は他の武家茶道の諸流派同様に凋落したが、昭和になってから芝村織田家を宗家として有楽流を再興した。
: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(岐阜洞戸坐禅道場茶道部)
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禅会にはじめてご参加の皆様へ


 
 
数息観(すうそくかん)のすすめ

坐禅(座禅)の仕方も正式な坐り方や、簡易の椅子坐禅もありますが、それは会場で体験して頂くとして、「数息観」について事前に説明させていただきましょう。

数息観とは?
  • 数息観とは、坐禅を組んで静かに自分の呼吸を数え三昧(梵語のサマデイーに由来する精神の集中状態)に入る修行の方法で、乱れ散乱している心を鎮め、三昧の力を養います。
    数息観は、一見簡単なように見えますが、実は容易なものではありません。
    「数息観は坐禅のもっとも初歩であるが、
    またもっとも終極である」と言われる所以(ゆえん)です。
  • (数息観の仕方)
    自分の自然な呼吸を心の中で数えます。始めの息を静かに吸いながら「いー」と、その息をそのまま受けて吐きながら「―ち」と数えます、つまり、一呼吸(吸う息と吐く息)で「いーち」です。

    次の吸う息と吐く息をもって「にーい」と数え、
    次の呼吸を「さーん」と数えてゆきます。
    そして、百まで数えます。
    百まで数えたら、また「いーち」に戻って繰り返し行います。
    線香一本分の数は、個人差はあると思いますが、大体「二百五十~三百五十」くらいです。
    数息観は以下の条件を守って行ってください。
  • まず、数を間違えない
  • 雑念を交えない
・上記2点に反したら、「いーち」に戻って数えなおす
この条件を満たしていることが『数息観』なのです。

この条件を満たすように数を数えていくと、中々数え切れずに途中で嫌になるかもしれませんが、それが修行なのです。





(二念を継がず)                        

数息観を行う上でよく言われることに「二念を継がず」と言うコツがあります。
この意味は雑念を相手にしないと言う事です。

すると、その雑念は「スゥー」と立ち消えてゆきます。
数を数える以外の周りの出来事に思いを巡らす(二念を継ぐ)と、次、そしてまた次と雑念が次々と起きてきます。
そうなりそうな時には「深呼吸をやや深く、大きめに取りながら」数息観に没頭します。
「ひたすら数を数えることを信じて疑わない」事が大切です。

(三昧-ざんまい)

三昧とは「心をいっさいに任せて、散乱させない」事です。
心を「今、当面しているひとつの事に集中させる」のです。
この三昧を基礎から身につけるための方法が「数息観」なのです。
嬉しいときには「嬉しい三昧」、悲しいときには「悲しい三昧」。
いつでもどこでも「三昧・三昧」の日常生活ができれば、人生、これほど快適なことはありません。学問研究、学業、学習、事業、仕事でも武道、スポーツ競技でも、三昧になれば効果は抜群に現われます。

(三重四日市禅会 IT 部)
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 巨巌です!!
 
今週もサンポー早朝座禅会の報告です。
今日の参加者 7名です。(2名寝坊で来ませんでした・・・)
今週の担当はFB事業部(レストラン事業部)です
いつものとおり般若心経よりスタート
 
だいぶ寒くなってきましたが、部屋は暖かく、気を緩めると眠りに落ちてしまいそうになります。
今年のサンポー早朝坐禅会も残すところあと3回となりました。今年もほぼ毎週火曜日に開催してきました。続けることは大切ですね。続ければ習慣化され、生活リズムがよくなってきますし、忙しい中でも物事の取捨選択が知らないうちにできるようになる。
現実の仕事の中でこそ生きてくる。それが坐禅かなと思います。




坐禅の後、(早朝は前にやったほうがよいのかも?)みんなで真向法(まっこうほう)をしています。↓



真向法のご紹介(ウキペディアより)

真向法(まっこうほう)は長井津が創始した健康法の一種。四つの動作を行うことで姿勢のゆがみを調整し、身体をやわらかくして心と身体の健康」を保つ。起床時か就床前に行う。1日3分程度から、畳一畳程度のスペースで簡単に行えることが特徴
四つの動作
呼吸に合わせて以下の動作を行う。呼吸のリズムは2秒で吐き、1秒で吸うのが基本。
  • 第一体操
足裏を合わせて座り、前屈と起き上がりを繰り返す。
尻から足にかけた外側の筋肉を伸ばすのが目的
ポイント1.腰を立てる
ポイント2.両膝を下げる
ポイント3.足の裏を上に向ける
ポイント4.かかとを体に引き寄せる
  • 第二体操
両足を伸ばして座り、前屈と起き上がりを繰り返す。
太ももの後ろからふくらはぎの筋肉を伸ばすのが目的
ポイント1股関節.から曲げる
ポイント2.足首を手前に返す(70度程度は立てる)
ポイント3.膝をできるだけ伸ばす
  • 第三体操
脚を左右に開脚して座り、前屈と起き上がりを繰り返す。
脚の内側の筋肉を伸ばすことを目的とする
ポイント1.脚を150度程度に開く
ポイント2.足首を手前に返す
ポイント3.股関節から曲げる
  • 第四体操
割り座で座って背を後ろに倒し、ゆっくりと腹式呼吸を行う。
足首と膝の関節を柔らかくすることを目的とする
ポイント1.両脚の間に尻を落とす
ポイント2.両脚の股の内側をつける
ポイント3.すねを床につける
 
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