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ブログ - 心で受けとめ肚で味わう、「聴雪」虚堂智愚(三)

心で受けとめ肚で味わう、「聴雪」虚堂智愚(三)

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2019/11/6 14:51

心で深く受けとめ肚でよく味わうー

耳聞不似心聞好 

(耳聞(にもん)()かず 心聞(しんもん)()きに)
  

  耳聞(にもん)心聞(しんもん)()きに()かず」とは、天然の(たえ)なる音楽というものは心の耳で聞き肚で味わうべきもので、単なる肉の耳で聞いたとてそのよさはわかるものではない、という意味である。

そしてこれはひろげれば「眼見は心見の好きに似かず」というようになり、それはさらに嗅覚(きゅうかく)・味覚・

触覚についてもいうことができよう。

要するに物事の真趣というものは、心で深く受けとめ、肚でよく味わうのでなければ、味わいつくせないものだ、というのがこの句のねらいである。    

 お茶事というものは、主客ともに(げん)()()(ぜつ)(しん)()六根(ろっこん)をフルに、しかも(きよ)らかに働かせて、(しき)(しょう)(こう)()(そく)(ほう)六境(ろっきょう)を深く味わうものであるが、真の茶人な

らば単にそうした感覚的な享受だけで()れりとすべきではない、心で受けとめ肚で味わうべきであるということを、この句は教えているのである。

だが、言うところの心とは単なるいわゆる心のことではなく、肚とは腹のことではない。

としたら、それはいったい何であろうか。                    

大疑団として皆様にさしあげておきましょう。

      (芳賀幸四郎著 新版一行物 ―禅語の茶掛― 下巻より)

                   (令和元年 三島静坐会投稿)


 

(注解)

 虚堂智愚(きどうちぐ、1185~1269):中国、南宋代の臨済宗の禅僧。南浦紹明など日本から入宋した多くの禅僧も彼に参じた。日本の臨済宗の源。

 ()、頌(じゅ)、偈頌(げじゅ):経・論などの中に、韻文の形で、仏徳を賛嘆し教理を述べたもの。また、それに準じて、仏教の真理を詩の形で述べたもの。

 似()かず:及ばない。

 櫺(れい):れんじ。窓やてすりに取り付けた格子。

 歇(けつ):やむ。やめる。やすむ。
 
 

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