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ブログ - 禅者・芭蕉(五) 法系

禅者・芭蕉(五) 法系

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2019/9/18 8:21

芭蕉の法系


 白隠の法嗣、東嶺円慈の書『相承宗分統譜』の中に芭蕉の法系が記されている。

白隠の法系と極めて近いのに驚く。

共に妙心寺開山・関山慧玄から十四世の愚堂東 とうしょく の流れに連なる。

 ―至道無難―正受慧端―白隠慧鶴―東嶺円慈
愚堂東寔(宝鑑国師)―錐翁慧勤 ―仏頂河南         

  ―頑極禅鉄(根本寺)  ――風羅芭蕉
 
蕉風俳諧の禅味


 芭蕉が常に弟子たちに説いて止まなかった「不易流行」にしろ、「松のことは松にならえ」にしろ、「風雅の誠」にしろ、これらは別々の芸術論ではなく、芭蕉が禅によって到り得た宇宙観・人生観から自然に流露し、互いに分ちがたく相即相入している。

これらの教えを通して、いささかなりとも芭蕉の禅味に触れてみよう。
(1)不易流行
 芭蕉は奥の細道の旅で、悠久の時の流れの中で自然も歴史も、万物が流転する姿を観じて、この旅から帰った元禄2年(1689)の年の暮れ、京の去来宛てに初めて「不易流行」を説いた。
 『去来抄』に曰く、[蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と云う有り。是を二つに分けて教え給える。

其の元は一つ也。云々]と。去来は其の元は一つと云いながら、弟子の間では、まるで不易の句、流行の句というものが別々にあるように誤解されたようだ。 不易と流行が、互いに対立する反対概念のように思われたのであろう。
 禅の公案に「堅固法身」というのがある。
[僧、大龍に問う、「色身は敗壊す。如何なるか是れ堅固法身?」龍云く、「山花開いて錦に似たり、澗水湛えて藍の如し」と。]
一夜の風に吹き散ってしまうあの満開の山桜が、そのまま、不生不滅の堅固法身の当体であるわいと示された。
般若心経にも[色即是空・空即是色]とある。
「不易即流行・流行即不易」は、ただ当り前のことを当り前に云っているにすぎないのだが、見性の眼がなければ容易には見えない。「どこまでも流れて行こう、だが流されはしない!」この言葉はどこかで誰かに聞いたようだが、 「不易流行」をサラリとうまく言っていると思う。


(井本光蓮「禅者・松尾芭蕉」)

 

禅者・芭蕉(五) 法系

山桜(花に葉が混じるところがソメイヨシノと違うところ)植木図鑑ぺディアより
 

 

 

 

 

 
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