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ブログ - 父母未生以前に於ける本来の面目、坐禅の効用㊲

父母未生以前に於ける本来の面目、坐禅の効用㊲

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2019/9/3 17:35
父母未生以前における本来の面目、坐禅の効用㊲
二、初関透過(見性)と学生運動

円了懇親会の終了後すぐ神戸駅から準急鷲羽に乗って郷里の岡山に向かいました。

車中からの夕陽をじっと見つめ続けていた自分を今でも鮮明に覚えています。

摂心会の定力が残っているうえに見性できなかった悔しさというか、なにくそという思いが一緒になって車中でも工夫が続いていたものと思います。

岡山駅に着いて、駅の西口から徒歩二十分ほどで父母のいる生家に帰れるのですが、反対の東口に出て岡山朝日高校裏の少林寺へ向かいました。

そこでは阪神支部円了の一日前から耕雲庵老師主催の中国支部の摂心会が始まっていたのです。少林寺の庭には天然記念物の大きな曙椿が植わっていて、その花が坐禅をしていて時折ポタリと音を立てて落ちるのですが、それが今でも耳に残っています。

また雨が降って軒下に雨だれが穴を穿っている光景も鮮やかに覚えています。

花の落ちる音や雨水の光景と自分が一体となっている感覚が無意識にあったように思います。

 

岡山市、少林寺と曙椿(少林寺HPより)

 岡山おおkkk

岡山

 
 次の日の月曜日の午後から火曜日の構後参禅まで一日以上参禅にいきませんでした。
参禅が詰まってできないというよりは、参禅する必要もないといった感じでいたのですが、講後参禅のときに直日の大重月桂さん(後の澄徹庵月桂老師)から、「丸川を参禅させろ!」という檄が飛び、小生の両側にたまたまいた新潟大学医学部五回生の寺島達道さんと中央大学五葉会の森秋月さんに両腕をとられてあっという間に喚鐘台の前まで運ばれました。
小生は抵抗することなく素直に坐って隠寮からの鈴を待ちました。
両腕をとられて引きずるように連れ出された修羅場の直後でしたが極めて冷静に、動ずることなく待っていたのを覚えています。

参禅室からの鈴の音に応じて喚鐘を叩き参禅室に入り礼拝して耕雲庵老師の前に坐りました

顔を挙げて老師の顔を見ますと老師は今までの難しい顔ではなくにこにこされていました。
 「父母未生以前における本来の面目如何?と公案を唱え見解(けんげ)を呈しました。
 老大師は大きな目を剝いて「本当にそうか?」と聞かれました。「何とおっしゃいますか!」とはいいませんでしたが、当たり前ですといわんばかりに大きく「ハイ」と言い、大きく頷きました。

そして「死後における本来の面目如何」を授けられました。
 摂心会が終わって岡山駅のプラットホームまで皆さんと一緒に耕雲庵老師のお見送りに行きました。
 その折、車内の老師と視線が合い、老師の目に引き込まれ、深い感動を覚えたのを今も覚えており、あとから考えるにあのときに人間禅に骨を埋める肚が決まったのだと思います。
 
(丸川雄浄著「坐禅の効用」より)
 
 

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