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ブログ - 円相とは?(その二)

円相とは?(その二)

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2019/9/1 7:51

禅と円相
 

 
 禅の修行というものは畢竟(ひっきょう)するに、坐禅の行によって悟りを開き、さらに悟後の修行を継続してその悟りを深め、ついにその悟りと自己とが、いつでも形影相伴う境涯にまで到達することである。

ところでいったい何を悟るのか、悟りの当体は何ものかというと、それは禅定三昧の行によって体得し、冷暖自知するほかはない絶対なものである。それは本来、何とも説明のしようもなく、名付けようもないものである。

しかし、それでは悟りや悟りの世界の消息を示唆することもできないので、この悟りの当体に何とか名称ないし符丁を付ける必要が出てくる。そこで禅ではやむをえず、これを「這箇(しゃこ)、こやつ」などとよびならわしているのであるが、もう少し教理的にも通用するようにというので、一般には「仏性」とか「父母未生以前における本来の面目」とか、あるいは「主人公」などと名前を付けている。

儒教のいわゆる「明徳」や「至誠」も、文字は異なるが実体は畢竟するに同じものである。悟りの当体は本来名のないものであるから、すでに悟りを開いてこれを体得したうえでなら、これを這箇とよぼうと仏性と名付けようと、あるいは本来の面目と称しようと明徳と字(あざな)しようと、一向にかまわぬはずである。

(つづく)

 

 

 

 

 
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