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ブログ - 絆をもって道心となす、緝熙庵老禅子遺稿集「あけぼの」より 4/13①

絆をもって道心となす、緝熙庵老禅子遺稿集「あけぼの」より 4/13①

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2019/7/10 8:10

『あけぼの』第4号  
平成95
人間禅教団 婦人部
 
婦人部の活動に思う           房総 内田慧純

婦人部集会をふりかえって
 今年も全国4地区の婦人集会が、それぞれ実施された。幸い、私はすべての集会に参加することができ、多くの禅子の方々とお会いし親しく話し合いの機会を得て、本当にうれしく法喜禅悦を味わった。
 集会の様子は、それぞれの地区からの報告が『合掌』誌に掲載され、また『あけぼの』第4号にも掲載されるので、全国の皆さんに、その実情が伝えられる。
 地区によって、運営に多少の違いはあっても、さすがに禅によってきたえられた婦人は実行力があると実感し、一生懸命にがんばっておられるなと感銘した。これが、この一年のいつわらない私の感想である。
 そして、僅か一日か二日の集まりでありながらも、婦人の立場からは、主催者のご苦心はもちろんのこと、そこに駆けつける参加者にとっても、その前後のやりくりに人知れずのご苦労があったと思う。これが手にとるように分かるので、身につまされる思いがした。特に禅子の少ない支部が担当の場合大変だったと思う。心からそのご労苦に感謝申上げたい。
 大多数の人々がそうであるように、禅にかかわらなくも、人間は生きていける。むしろ禅にかかわらない方が楽であるともいえる。それにも拘わらず、こうして禅の集いに参加される方々、その思いとはどんな思いか。私はそこにひたむきな道心を感じ、未来に明るい展望が期待されると思う。婦人集会に集った方々を大事にしなければと思う。
 私たちの周りには、さまざまの物・事、情報があふれている。私たちの心は、ともすれば外にむき勝ちである。一見魅力的な外からの刺激や社会の潮流を直視して、主体的に生きることは大変難しいこと。このような傾向は、ますます大きくなり、それにふりまわされて、自らの心を見失ってしまう。何が大切なのか、時々立ち止まってわれとわが心を確かめたいと思う。そんな機会を婦人集会は提供していると考えられよう。
 去年の『あけぼの』第3号に、婦人集会のもつ幾つかの側面について私見を述べたが、果たして、今年の集会がどうであったか。



 地区内の禅子が集まって、禅子同志の心情面の交流は一層高まったか、修行上の体験を共有する相互理解が進んだか、そして仲のよいはげまし合いの機会となったろうか。
 困難をのりこえての集会をやりとげ、成功裡に終ってやればできるという自信と喜びが生まれたか。もっとも重要な本格の摂心会に、主体的な、さらなる参加への力になったか。今までの参加では見えなかった運営上の事柄が見えてきたのではないか。
 人間形成の禅の道のすばらしさを多くの人々に理解していただき、禅のすそ野を広げようと広く呼びかけた。その反応はどうだったか。地区毎に多く参加された新到の方との機縁を生かしてきたか。
 さらに団員夫人に呼びかけ参加された後、夫人の禅への理解と家族の居士の修行に対する協力関係は如何か。率直な意見を聞きたいと思う。
 こうして、一つ一つふりかえってみれば、それぞれ手ごたえがあったと思う。まだ道は歩きはじめたばかり、早急に成果をもとめる必要はない。一歩一歩地区内の話し合いを重ね、皆の希望も入れて、やり易い形でぜひ続けてほしいと思う。
 自らつみ重ねた苦労は必ず身につく、決して無駄になることはないと思われる。逆に苦労しなければ自らの力にならない。
 道元禅師は、『典座教訓』の中で、「絆をもって道心となす」と言われた。絆とは、手かせ足かせ、束縛するもののこと。わずらわしい苦労をすることによって道心を高めよとの教えである。この語、折りにふれて私の口ずさむ座右の銘である。
 

 

 
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