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ブログ - 本当の自由とは?在家の禅、勝鬘経の世界㉕

本当の自由とは?在家の禅、勝鬘経の世界㉕

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2018/10/11 9:37

「本当の自由とは?」在家の禅、勝鬘経の世界㉕

華厳経では四法界を説いていて、仏教の世界観が展開されていす。

簡単に説明しますと、1、理法界、2、事法界、3、理事無礙法界、4、事々無礙法界の四つです。

現代は政治経済思想文化などもろもろにおいて基本的理念が見失われ、刹那的雑音騒音に近い雑多な思潮が混在横行してなにかと惑わされやすいものです。

こういう時代であればあるほど、根本の理念を明確に把握することが大切ではないでしょうか。

しかし個人として基本的理念を確立しても、再び現実の混迷の世界に入ると、なかなか理(理想の世界)の如く事(現実の世界)の上でこれを実践していくことは困難です。

そこで退歩したりあきらめたりしていては、せっかくの理が空転してしまい、言うことだけは立派だが、やっていることは逆だ!?ということになってしまいがちです。基本理念を確立することは第一ですが、理を打ち立てたら、現実の世界に入って、これを実践するために心血を注いで努力しなければなりません。

この努力を倦まずたゆまずつづけていくうちに、理と事が不二一如の境地が開けてきます。そこを身をもって悟ると理事無礙法界がわがものになると教えています。

すくなくともここまで行かないと世の中の問題を処理することはできないはずで、仏教はそのことを正しく教えてもいます。

さらに、理事無礙法界に止まることなく、進んで事々無礙法界まで行くのが仏教の究極ですが、ここまで来るとゴテゴテした理などは、一切忘却してしまって、事々に即して意の如くはたらき、

しかも、如是法を踏み外さない、仏の境地となります。



[フリーダム」(ウキィぺディアより)

 

孔子が「欲する処に随って矩(のり)を越えず」と言い、釈迦が「法王となって法において自在なり」といっているのがこの境地です。                                 

ここまできて本当の自由というものが味わえるのです。

しかし一歩譲って、事々無礙まで行けないとしても、理事無礙を得ないと、根本の理は確立しただけで現実には役に立ちません。

こういうところは西洋的学問からは得難いところでしょう。

東洋思想特に仏教において、深くここの入り組みを体得していかなければならないことを一言申し上げたいところです。

 余談にわたって、いささか脱線しましたが、勝鬘夫人の十大受に話を戻して、この十大受にしても、あまり崇高な理想を掲げているため、果たして夫人が言うが如く、実践できるものかどうか、

修行が未熟な大衆はみな疑いを抱きました。

やはり無理からぬことでしょう。そこで勝鬘夫人は言葉をあらためて、法主世尊に向かい、わたしが只今誓いました十の誓いが、この世において実践できるものかどうかを、世尊の口から証明していただき、大衆の疑念を晴らしてください、と証明を求められたのです。

(小野円照著「勝鬘夫人の告白」より)

                       
 

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