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ブログ - 前頭葉の活動と坐禅の三昧の境地

前頭葉の活動と坐禅の三昧の境地

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2018/9/10 10:52

大学を定年退官したあと、かねて通って坐禅を続けていた人間禅道場に入門した。

そこではこれまでの脳の働きが役に立たないことは覚悟していた。

頂いた公案を昼も夜もいだき続けて、ある日そうかと悟るところがあった。

その際に、普段私たちが行なっている論理的な脳活動の奥に直観的な別な脳の働きがあることを知らされた。

それをきっかけに悟りに入った時の脳、なかでも苦行のすえ、スジャータの捧げる乳酪を食され菩提樹の下の深い瞑想で最終的な悟りをえられたお釈迦様の脳はどうなっていたのだろうという疑問を持つことになった。

これまでに禅僧の脳波を調べた研究があるが、具体的な脳活動を知るには私も大学で研究に携わっていた脳機能画像法が不可欠と思っていた。 
 さいわい諸外国ではこの方面の研究が盛んに行なわれていて、なかでも米スタンフォード大のチベット仏教僧8名が深い瞑想状態に入った時の脳機能画像の報告は説得力のるものであった。
8名そろって意志や決断といった人格に関わる前頭葉が強く活動しており、逆に視覚聴覚など五感の情報
を統合する頭頂葉の活動がおさえられているという結果である。
(図1)額の真後ろに位置する前頭葉が輝くということは、佛像でみられる額の白毫、あるいは両眼のほかに額にある第三の眼と関係があることかも知れない。 
さてこのような脳機能画像の結果を私自身先達の体験などに照らしてみると、頭頂葉の活動がおさえられると、音は聞こえ、物は見えているがその意味や実在感があいまいになり、いっぽう前頭葉の活動で自分の核は失われないという、いわゆる三昧の境地であることが分かる。

さらに瞑想が深まり自己を規定する五感が薄れると、自己と他者との境の畔が切れ、宇宙との一体感キリスト者の場合はキリストとの一体感を生むこともあるとされる。

これに付随して本能的な行動、快不快、喜び悲しみなどの感情を生む旧脳の扁桃体のスイッチがオンになると、感情をおさえたり無くしてしまうとされる悟りの状態ではなく、本能的な感情が生き生きと輝く状態になると考えられる。 
 この扁桃体を含めた大脳辺縁系と呼ばれる旧脳は、知性では届かない直観力やアイデアに関わるところでもあり、天才的な発想を生むいわゆるセレンデビテイに関係していると考えられる。

また深い瞑想の境地では脳内神経物質であるセロ
トニン、ドーパミンの分泌が起こり、幸福感や達成感、静寂の中の輝くような悟りの境地が得られるものと思われる。 
 菩提樹の下での最終的なお釈迦様の悟りは「虚空を太陽が照らすがごとき」境地であったとされている。恐らくドーパミンなどの神経物質が大量に放出された結果と思われる。

そのためか最初お釈迦様はこのような境地は他人には伝えられないと判断され、初めは弟子たちの要請にもかかわらず布教をためらわれている。
お釈迦様の凄いところは、このような深い悟りの状態の脳をその後の 45 年にわたる布教活動の間、少しも変わらずに持ち続けられたことで、相手に応じた臨機応変の説法と、自他の畔を完全に切った博愛の精神という相矛盾するような脳の働きを生涯持ち続けられたのである。 


(「お釈迦様の脳」本庄巌著①

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