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ブログ - 正法を体得して仏になる、在家の禅「勝鬘経の世界」

正法を体得して仏になる、在家の禅「勝鬘経の世界」

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2018/8/9 10:12
 
正法を体得して仏になる、在家の禅勝鬘経の世」㉛

十、世尊、我れ今日より乃(いま)し菩提に至るまで、正法を摂受して、終に亡失せず。何を以ての故に、法を亡失するものは即ち大乗を忘る。大乗を忘るるものは即ち波羅蜜を忘る。波羅蜜を忘るるものは即ち大乗を慾(おも)わず。若し菩薩大乗に決定せざるものは、即ち正法を摂受する慾(おもい)を得ること能わず。
所業(しょぎょう)に随いて入りて永く凡夫地を越ゆるに堪忍せず。
 我れ是の如きの無量の大過を見、また未来に正法を摂受する菩薩摩訶薩の無量の福利を見るが故に、此の大受を受く。

 

この三行に比べて、つぎに続く三慾は趣を異にしています。

則ち「波羅蜜を忘るるものは即ち大乗を慾(おも)わず、若し菩薩大乗に決定せざるものは即ち正法を摂受する慾を得ること能わず」、これが三慾で、前の三行を得ようと願う心です。

願と行は一体ですが、しかし細かく分けて見れば願があって行が生まれてくるものです。

しかも願は誰にでも許されるもので、たとえ未熟なもの、仏法について未だ何も知らない人でも大乗を実践しようと大願をたてることができます。

そこで願いのほうからいいますと、苦しいとかやるせないとか、いろいろの煩悩に迷い苦しんでいるものが、楽々とした悟りに世界に入りたい、と念願するのは、これは自然でしょう。

たった一度しかない人生をできることなら楽しく送りたいのがだれしもの願いでなければなりません。

それが到彼岸の慾(おも)いです。

この願いを忘れなければ大乗を得んと願い正法を摂受しようと願い、正法・大乗・波羅蜜の三行を実践しなければならなくなってきます。

でないと、どんな立派な大願を立てても、実践が伴わなければ成就することはありません

聖徳太子は三行の実践は八地以上と断っておられますが、三慾からすればズブの凡夫で少しも差し支えないわけで、誰でも心がけ次第で正法を体得し、仏に成り得るのです。

16歳の太子像
 
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