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ブログ -  枯枝に烏のとまりけり秋の暮、禅者芭蕉読本㉗

 枯枝に烏のとまりけり秋の暮、禅者芭蕉読本㉗

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2018/7/25 16:25
 
枯枝に烏のとまりけり秋の暮、禅者芭蕉読本㉗

 延宝九年9月29日、天和元年(1681年)桃青38歳。

この年の6月、池西言水編の「東日記」が刊行された。この書は才丸の序に

、「これより先三度句帳を顕はし、三度風体をかへて三たび古し」と
言水が閑語したことを述べているように、当時の俳壇における革新的機運を
反映したもので、桃青発句15句入集しているが、そのうち3句。
   枯枝に烏のとまりたるや秋の暮
   いづく時雨傘を手にさげて帰る僧
   藻にすだく白魚やとらば消えぬべき
など、従来の縁語掛詞の技巧や観念的な比喩の遊戯に満ちた談林派の作風と
かなり異なる傾向がみられる。
後世、枯枝に烏の句の吟は真に文芸的で、芭蕉の俳号ではじめて、千春撰
「武蔵曲(ブリ)」に発句6句入集するのは、翌年の3月であるが、この句こそ蕉風開発の第一声との評が一般である。
しかし、枯枝にとまった烏を自然の風景として眺めるより、秋の暮れの道具立てとして見ることに、興味の主体がおかれていて、いまだ、素直な客観の句としては今だしである。
烏のとまりたるや」は、後に「烏のとまりけり」と改めている。
寒烏枯木の閑寂の境をそのままとらえて、そこに理知的解釈の余地を介在させていない、
更に次の句、いづく、、、、(晩方)帰る僧、に時雨を憶う枯淡の情緒趣向、(手に)とらば消えゆきそうな白魚の繊細な{あはれ}などにしても、俳諧の文芸性に対するそれまでの考え方から見て驚くべき変化であった。
そこには、従来の理知的な「をかしみ」の要素がみられない。

又、「東日記」それ自体が新しい風体(ふうてい)を求めていた。
その中の才丸の句「笹折りて白魚のたえ々青し」、も、その詩的美しさは新鮮でさえある。
しかし、「東日記」それ自体の全体的な志向は、いまだ、理知を基調にした、一線上にあった。
才丸のこの句、「青し」と、むしろ白魚に対して、逆説的に形容叙述したのは「その中に、従来の談林派が求めた、「をかしみ」をそこに期待したかのようでる。
「東日記」に入集した、芭蕉15句の大部分がいまだ談林的な風を離れてはいないが、その中の二三句であっても、閑寂、枯淡、繊細などの美意識がそのまま俳諧の内容として取り入れられたのは、時代の推移のほかに芭蕉の個人的な特質や厳しい自省の念に元ずく精神生活、つまり、この時期より仏頂禅師への参禅が開始された事が大いに考えられるところである。
 また、それは芸道に対する純粋な気持ちとして「此の一筋に繋がる」と表現すべきものであった。


深川芭蕉庵跡地に建つ神明神社に置かれているこの石の蛙は、「芭蕉遺愛の石の蛙]」といわれるもので大正69月の台風の折の高潮の後、常盤一丁目から出土したもので、同年1月に東京府はこの地を「芭蕉翁古池の跡」と指定.した。
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池西言水(1650~1772)大和国(奈良)で大年寄りを務めた家系に生まれる、16歳で法体して俳諧に専念。江戸に出て、大名俳人内藤風虎のサロンで頭角を現す。天和2年京都に移り天和4年まで西国、九州、
出羽、佐渡などへ3度の行脚を行う。代表句「菜の花や淀も桂も忘れ水」。
才丸―佐々木才麿 大和宇陀郡生まれ。江戸在住、西鶴門弟。江戸前期から中期の俳人。没83.
 
(みえ四日市禅会俳句部)

 

 

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