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ブログ -  あらなんともなや・・河豚汁、禅者芭蕉読本⑳

 あらなんともなや・・河豚汁、禅者芭蕉読本⑳

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2018/3/9 18:11

 あらなんともなや・・河豚汁、禅者芭蕉読本⑳

 芭蕉の初期の俳号「桃青」は延宝三年五月、江戸来遊中の談林派の西山宗因と一座したときはじめてその使用が見られる。
芭蕉(当時は宗房)時に32歳。この前年江戸出府から二年振り、伊賀上野へ初の帰郷をしている。
俳号「桃青」の由来は種々論じられているが、いずれも憶測の域を出ないが、中国盛唐時代の詩人、李白(701〜762、字は太白。号は清蓮居士。)を意識した俳諧的命名が真相に近いといわれている。
清連居士に対して桃青であるので、俳諧的にいえば滑稽と同時に、青年の客気、自ずから気負う姿が感じられるというのである。



李白
 
延宝四年(1676年)二月、宗房は親友信章(山口素堂)と「江戸両吟集」を出版する
「奉納弐百韻」の第二巻巻頭の、
梅の風俳諧国に盛んなり    信章
こちとうづれも此の時の春   桃青
両吟集のこの二句は、前回挙げたところでもあるが、「梅の風」とは、西山宗因の俳号、梅翁に因んで宗因の俳風、つまり古風である貞徳派に対して、新風談林派のことである。
「こちとうずれ」とは、「我々」も、この談林風の盛んな春を謳歌しょうとの意味である。
古風の俳諧は、すでに全く時代の支持を失っているので、新しい風、談林派の作家として出発しようとの自覚を表現している句である。
 延宝四年六月二十日から七月二日まで二度目の帰郷をして、甥の桃印を帯同して、江戸にもどっている。
二度目の帰郷は、最初の出府当初、「しばらく身をたてんことをねがふ」と伝記に記して、立てていた生活方針をこの際放擲して、郷里の肉親、係累に何事か相談もして、ある種身辺整理をしたのであろうと推察されている。
江戸に帰った宗房はその後飛躍的な俳諧活動を開始する。
年賦では、延宝五年(1677年)34歳、この頃俳諧宗匠として立机。以後四年間水道工事監督に従事。とある。
同年、内藤風虎侯発企「六百番俳諧発句合」に加わり、二十番の勝負を争う。「江戸三吟」百韻三巻の中。
 
あらなんともなや昨日は過ぎて河豚汁   桃青
 寒さしさって足の先まで   信章(山口素堂)
居合抜霰の玉やみだすらん   信徳
 
(三重四日市禅会俳句部)
参考資料、竹人「全伝」、竹二房「芭蕉翁正伝」、穎原退蔵「芭蕉」
 

 
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