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ブログ - 応々といへど敲くや雪の門(去来)禅者芭蕉読本⑱

応々といへど敲くや雪の門(去来)禅者芭蕉読本⑱

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2017/11/10 14:12

応々といへど敲(たた)くや雪の門去来禅者芭蕉読本

 芭蕉総合年表によれば、宗房(芭蕉)は寛文12年(1672)春、29歳の時に江戸に下り、二年後の春、延宝2年(1674)に伊賀上野へ初の帰郷をしている。 

この年は各地で風水害により大凶作の記述もある。

翌年の延宝3年(芭蕉32歳)、江戸来遊中の西山宗因歓迎百韻で始めて桃青の俳号を使用。同年、杉風其角嵐蘭が入門、江戸蕉門誕生が想定されている。

同年6月、伊賀上野に二度目の帰郷。7月2日まで滞在して、桃印(甥)を同伴して江戸にもどる。

7月、花樂軒蝶々子編「当世男<いまようおとこ>」に発句3句、付け句3句入集。

12月、北村季吟編「続連珠」に松尾氏本住伊賀、号宗房桃青として6句、付け句4句入集。

延宝5年(1677年、34歳)この頃、俳諧宗匠として立机

以後四年間、水道工事監督に従事。
 同年11月10日、去来、父、墓参のため真如苑からの帰路、農夫を襲った猪を一刀のもとに斬殺。とある。

http://nagoyazen.ningenzen.jp/uploads/ckeditor/images/20171010102005.jpg

応々といへど敲(たた)くや雪の門 向井去来




去来については日本歴史大辞典で次のように紹介している。
向井去来(1651慶安4年1704元禄17年芭蕉より8歳年下、行年53.
江戸中期の俳諧師、儒医向井元升の次男として肥前国(長崎)に生まれた、堂上家に仕え武芸に優れていたが、若くして武士の身分を捨てた。
25歳の時に京都に上り、主として兄元端の医業の補助した。京都嵯峨野落柿舎に住んだ。(後に芭蕉はここで嵯峨日記を執筆した。)

1684年(貞亨元)頃から芭蕉風の俳諧に近づき、1691年(元禄4)には同門の野沢凡兆とともに芭蕉の指導の下に「猿蓑」を編集刊行して、西日本における蕉門の代表的作者と目されるようになった。この頃、西国三十三カ所俳諧奉行と綽名された。
師の没後には「奥の細道」を刊行して後世に伝えるとともに、「旅寝論」「去来抄」などを著述して芭蕉の立場や思想を作品に即して具体的に説明した。
その生育した環境から和漢の古典に関する教養にめぐまれていたので、優れた蕉風解説になりえている。(上野洋三ー日本歴史大辞典)


(三重四日市禅会俳句部)


 

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