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ブログ - 目に青葉、素堂、禅者芭蕉読本⑬

目に青葉、素堂、禅者芭蕉読本⑬

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2017/10/11 9:37

芭蕉年賦では

翌、延宝4年(33歳)親友山口素堂と「江戸両吟集」を出版。とある。 

山口 素堂やまぐち そど、は寛永、19年(1642年)〜享保元年(1716年)、江戸前期の俳人である。
本名は信章。幼名は重五郎、通称は勘(官)兵衛、あるいは市右衛門。字は子普、公商。

経歴は;

生まれは甲斐国巨摩郡は上教来石村(現・北杜市)であるといわれる、元禄8年に甲斐を旅した『甲山紀行』によれば甲斐は亡妻の生地と記されており、異説もある。
家業として甲府魚町で酒造業を営む家庭に生まれ、幼少時に甲府へ移る。

20歳頃に家業の酒造業を弟に譲り江戸に出て林鷲峰に漢学を学び、一時は仕官もしていた。俳諧は寛文8年(1668年に刊行された『伊勢踊』に句が入集しているのが初見。
延宝2年(1674年)、京都で北村季吟と会吟し和歌や茶道、書道なども修める。
翌,延宝3年(1675年)、江戸で初めて芭蕉と一座し深川芭蕉庵に近い上野不忍池や葛飾安宅に退隠し、門弟ではなく友人として以後互いに親しく交流した。
晩年には「とくとくの句合」を撰している。

元禄8年(1695年)には甲斐を旅し翌元禄9年には甲府代官櫻井政能に濁川の開削について依頼され、山口堤と呼ばれる堤防を築いたという伝承がある。

漢詩文の素養が深く中国の隠者文芸の影響を受けた蕉風俳諧の作風であると評されており、延宝6年の『江戸新道』に収録されている"目には青葉 山ほととぎす 初鰹"の句で広く知られている
 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/74/Yamaguchi_Sodo_monument.jpg/220px-Yamaguchi_Sodo_monument.jpg

山口素堂の歌碑(山梨県北杜市、国道20号沿いのコンビニ跡地内)(ウィキぺディアより)


(三重四日市禅会俳句部)
 

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