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ブログ - 有ればやろう、無ければ貰おう・宗演禅師菜根譚講話(十七)

有ればやろう、無ければ貰おう・宗演禅師菜根譚講話(十七)

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
人間禅東海岐阜・三重 2017/9/9 11:36
支店長の儲け・宗演禅師菜根譚講話(十七)


世に處(しょ)するには、一歩を譲るを高しと為(な)す。
歩を退(しりぞ)くは、則(すな)ち歩を進(すす)むる的(てき)の張本(ちょうほん)なり。
人を待つに一分(いちぶ)を寛(かん)にするは、是れ福なり。
人を利するは、実に己を利する的(てき)根基(こんき)なり。

 

 
 世の中を渡るには、決して、人と先を争うようであってはいけない。常に一歩を譲ってやる気づかいが肝要で、これが自己の人格を高くして、自然と人より高きにいることになる所以の道である。
 一歩を退くは、これは、とりもなおさず、一歩を進める張本である。
 張本とは、現代では「彼は××した張本人である。」くらいにしか使わないが、張本とは事の張本で、基礎、つまり土台の意味である。
 人を待つとは、人を待遇する、すなわち、他人と接することである。
 人と接する場合にはあまり厳酷にならず(失せず)、一分は寛大に、その人の自由に任せる。
 多少の私利を営む、自分中心の利己的な一面があっても大目に見てやって知らぬふりをしている。
 これがお互い幸せに至る道である。
 凡そ、人に利益を得させるということは、つまるところ、自己が利益を得る根基(こんき)、つまり、根本となるものである。


(資料写真)

 これは、小京都、岐阜で流行りのさる外食産業の会長を名乗るご仁から聞いた話であるが、人手不足で,支店で売る商品の調理手伝いから、客の接待まで、売上の大部分を左右する店員業務に臨時アルバイトばかり使う支店の支店長にはどんな人物を採用するのか?と聞いたのだが、いわゆる、堅い一方で、給料以外には、自分の腹を肥やすということが出来んような男は、間違いはないが、店の繁栄やノルマ以上の収益は望めない支店長である。
 正直、誠実、これは社会のどんな方面にあっても欠くべからざる第一要件であるが、必ずしも、自分の腹を肥やす者、自利に走る者はこの要件から外れたものというべきではない。
 私腹を肥やそう、自利が先ず第一と考えるくらいの男は、先ず、主人の店の繁栄を計る、発展に努力する。その後、同時に自己の繁栄、発展を計るので、これが世間一般、普通のことである。
 だから、主人たるもの大抵のことは部下を大目に見てやって素知らぬ顔でいる。
 たまたま、マニュアル通りに行かない事態に陥って、多少の損失を招いてしまっても、有能な支店長なら自分の懐から主人に内緒で弁済しておくくらいのことはやっておく。
 かような機転の利く有能の支店長なら過大な損失を蒙るようなことは滅多にないものであると。
大綱を持して、全体をよく見まわして、あまりコセツカズ、有能な者を撰び、信じて任せておく、これが主人たる者の心懸け、役目である。
若しも、監督、支店長があまりにコセツキ、厳酷(げんこくー酷く厳しい)に渉ると、自分にも儲けが出ないし、受持つ店の成績も上がらないと会長はいう。
なるほど、それはそうでしょう。
支店長や支配人は主人の店を土台に、利用して自己の取り分を儲ける。
主人は、また、支店長、支配人の才能を利用して店の繁栄を計る。
互いに、まず、他に与えておいて、自ら取ろうとする。
これで社会は円満に行くのである。
つまるところ「有ればやろう、無ければ貰おう」の精神でもあります。
 

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