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坐禅儀(二)(白田劫石述)白隠禅師坐禅和讚新講㉘
 

 先ず右の足を以て左のhttp://www.geocities.jp/sybrma/cyu0906201.gif(もも)の上に安じ、左の足を右のhttp://www.geocities.jp/sybrma/cyu0906201.gif(股)の上に安ぜよ。

或いは半跏趺坐でも亦可なり。

但だ左の足を以って右の足を()すのみ。

 次に右の手を以って左の足の上に安じ、左の掌(たなごころ)を以って右の掌の上に安じ、両手の大拇指(おやゆび)(おもて)を以って相(ささ)えよ(6)

徐徐(じょじょ)として身を挙して前後左右反復揺振(ようしん)して乃(すなわ)ち身を正しく端坐せよ。

 左に傾き右に(そばだ)ち、前に(かがま)り、後に仰ぐことを得ざれ、腰脊()(ちょう)骨節をして相(ささ)え、状浮屠(かたちふと)(7)の如くならしめよ

 又身を(そび)えること(はなは)だ過ぎて、人をして気息(きそく)に不安ならしむることを得ざれ。
 

耳と肩と対し、鼻と(ほぞ)対し、舌は上の(あぎと)を拄え、唇歯相い著(つ)けしむることを要せよ。
 

 目は須(すべか)らく微(かす)かに開き、昏睡を致すことを免(まぬ)かるべし。
 

若(も)し禅定を得れば、其の力最も勝れたり。
 

 古(いにし)え習定(しゅうじょう)の高僧あり。

坐して常に目を開き、()きの法雲円通禅師(8)も亦、人の目を閉じて坐禅することを訶(か)して以って、黒山の鬼窟(9)と謂(い)えり。

 蓋(けだ)し(じん)()有り。

達者(これ)を知るべし。


 

坐禅儀(二)註


 

11.両手の大拇指の面を以て相柱(あいささ)えよ 『宝鏡記』には、「心を諸処に安ずるに皆定処あり。坐禅するとき、心を左掌の上に安ずるは、乃ち仏祖正伝の法なり。」とある。
 

12.浮屠(ふと) 仏の義もあるが、ここでは寺塔で、五重の塔のようにドッシリと坐れとのことである。
 

13.黒山鬼窟(こくざんきくつ) 『雲門録』に「上堂語に曰(いわ)く、わずかにこの休歇(きゅうかつ)のところを聞いて、すなわち陰界裏(おんかいり)に向って目を閉じ、眼を合わせて老鼠(ろうそ)裏(り)に活計(きゃっけい)をなす。これ黒山下(こくざんか)、鬼窟裡(きくつり)に坐して弁道するなり。

これにて入路(にゅうろ)を得(う)ること還(かえ)って夢にだにも見んや」とある。


 

(白隠禅師坐禅和讃新講、付録「坐禅儀」―白田劫石 述、人間禅叢書第6編 文責 豊橋禅会IT担当 田中宗晃)
 

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第24回仙台禅会摂心会(坐禅会)のご報告

20171123095801.jpg






第24回仙台禅会摂心会(坐禅会)のご報告

表題の件、11月16日(木)から19日(日)まで厳修されました。
初日は病欠者が相次ぎ淋しいスタートとなりましたが、最終日には仙台のメンバーがほとんど揃いました。
また、さいたま禅会から転勤のため仙台に来られた高鶴居士も参加されました。
懇親会にはこの度「瑞宝中綬章」をいただきました
名誉会員の徳田昌則先生も参加して、大いに座が盛り上がりました。
添付ファイルは「寄せ書き」「徳田先生と仰月庵老師」「円了後の記念撮影」です。合掌 祖芳 
 
 
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白隠禅師坐禅和讃新講付録 坐禅儀(磨甎庵白田劫石老師述)
 

坐 禅 儀(1) 

 夫れ学般若(がくはんにゃ)(2)の菩薩は、先ず(まさ)に大悲心を起し、

弘誓願(ぐぜいがん)(3)を発し、精(くわ)しく三昧を修し、誓って衆生を度(ど)し、一身(いっしん)の為に独り解脱(げだつ)を求めざるべきのみ、

乃(すなわ)ち諸縁を放捨し(4)万事を休息し、身心一如(いちにょ)にして動静(へだて)無く、其の飲食(おんじき)を量(はか)り、多からず少な

からず、其の睡眠を調(ととの)え不節不恣(ふし)(5)なり。 

 坐禅せんと欲する時、閑静(かんせい)の処に於て厚く坐物(ざもつ)を敷き、(ゆるく)く衣帯(えたい)を()け、威儀(いぎ)をして斉整(せいせい)ならしめ、然(しこう)して後に結跏趺(けっかふ)()す。

坐 禅 儀 註

1.  坐禅儀 この坐禅儀は、道元禅師の『普勧坐禅儀』と異り作者不詳である。

http://nagoyazen.ningenzen.jp/uploads/ckeditor/images/20171118144247.jpg


その前文に次の如くある。
 

「思うに仏々祖々修定するところの儀則にして道を慕う勝士の伝習する所なり。
 

もとより由あるが故に、百丈の祖、特に立すると雖も、章
 

を述ぶることをもちいず。
 
の儀、常に存す。然るに歳月はるかに遠くして凋弊おのずから出ず、泛々(うっかり)として業林に老ゆる者亦少なからず。

ここを以て東陽、勅を以て清規(しんき)を修むるに及んで、すなわち嘗て伝の存するところの儀をあげて以てこれ等の徒にのこす。」

つまりは長い間業林で伝えられたものをまとめたものである。

 その内容は10節あって、

1.禅の本意を述べ、

2.身の形相を示し、

3.坐の法則をおしえ、

4.坐の不正を(いま)しめ、

5.正しく禅病を明らかにし、
 
6.禅の安心を示し、
7.魔の境涯を明らかにし、
8.動中の工夫を説き、

9.禅定の要を掲げ、

10.総べ結んでこれを勧む。

2.  学般若 坐禅するものの眼目を、般若を学ぶとした。

仏の悲知願行を学することが、それである。

3.  弘誓願 仏の誓願で四弘誓願である。 

衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成 

4.  諸縁を放捨し 『伝灯録百丈章』に「僧問う、如何なるか、是れ大乗頓悟の法門? 

百丈云く汝等先ず外、諸縁を歇め万事を休息し、善と不善、世間と出世間との一切の諸法記憶することなかれ。 

放念することなかれ。
 身心を放捨して、自在ならしめよ。」とある。
 1.  不節不恣 不足ならず、又多すぎもせず、中庸(ちゅうよう)である。


 (白隠禅師坐禅和讃新講、付録「坐禅儀」―白田劫石 述、人間禅叢書第6編 文責 豊橋禅会IT担当 田中宗晃) 
 

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4回三重四日市禅会坐禅会のご報告

第4回三重四日市禅会参禅会(坐禅会)が三重県北勢地方に早くも12月下旬の寒気がながれこんだ四日市市諏訪町、四日市総合会館8回和室で午前9時〜16;30の時間設定で行われました。
 主な日課はオリエンテーション、坐禅、数息観実習、
法話(「相対樹・絶対樹を踏まえた在家禅について」講師、人間禅師家金剛庵粕谷要道老師)、参禅、呈茶、昼食、三重四日市禅会打ち合わせ、作務等でした。
参加者は田中太玄三重四日市禅会長、小川韶春ときわ水曜坐禅会長、熊谷竜安久居新町日曜坐禅会長、熊谷芳光、伊藤居士、小1、小三生。でした。次回第五回三重四日市禅会参禅会は3月に四日市少年自然の家を会場に12日の予定で開催します。予約など詳細は12月中にHPに掲載します。(田中太玄)



 四日市朝の曇天、午後の晴れ間と近鉄四日市駅観光ポスター「大台ケ原」

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 京都のお稲荷さんとなごやの鯱とかけてその心は?

  10月15日(日)人間禅広島呉道場設立記念式参列の帰途、新幹線京都駅で、



  第123回秋季人間禅本部道場摂心会に参加する途中の113日(金)名古屋駅での名古屋城天守閣木造改築記念ポスター、金の鯱。(なごやで夜一番遅い坐禅会主宰蓑輪清みのわせいりん
Seirin minowa
seirin1105@gmail.com

携帯 090-1560-6881
 
 
(名古屋禅道場IT部)

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年忘れ豊橋徹宵坐禅会のご案内
豊橋禅会第3回参禅会(坐禅会)

 この度人間禅豊橋禅会では、第3回坐禅会(参禅会)を開催します。臨済宗の正脈の師家を拝請して古来からの公案によって.転迷開悟を図ることが出来る参禅会です、一般社会では単なる坐禅会と認識されていますが、正脈の師家に独参する会は東海地区一円ではわれわれ人間禅だけであります。
 老若男女、学生さんから主婦お年寄りまで、坐禅は初めてという方にも親切に初歩からご指導致します。
お気軽にご参加下さい。お待ち申し上げます。
                  
   
       http://nagoya.ningenzen.jp/uploads/ckeditor/images/20170429090945.jpghttp://nagoya.ningenzen.jp/uploads/ckeditor/images/20170429091204.jpg

                                  
はじめての方の参禅とは;;

我々人間禅の総裁老師葆光庵丸川春潭老師が一人一人面談のうえ、参禅願いを提出して、独参を許されると、公案を頂き、その見解を呈して、見解の深浅邪正を判別して指導頂きます。


日時平成29年11月29日(水)から12月3日(日)14時まで

ドリームマップと禅」講演;122日(土)受付、午後2時45分、フォーラム午後34時45分、坐禅午後5時6時;30(老師との面談時間を含む)途中退席可。

徹宵坐禅開始;122日(土)223日(日)午前6;00まで(何時からでも参加出来ます)
会場 豊橋市下条東町古城82 金西(こんさい)禅寺(ファミリーマート下条東町店より徒歩5分) 〒440-0002、℡ 090-2009-7591
会場確認連絡先 090-8420-2255(高田)090-2009-7591(遠藤)
参加費一般2,000円(講演会のみ500円) 食費1350円 宿泊費1泊500円 懇親会費2000
お問合せは以下にお願いします。


広瀬 :携帯090-4250-0542
蓑輪清稟(みのわせいりん) :携帯090-1560-6881 
E-mail :seirin1105@gmail.com

 takada_gentoku@yahoo.co.jp (高田)

 azshi0728@hotmail.com (遠藤)
 

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おくがき

 さて以上、白隠禅師の『坐禅和讃』に即して坐禅の効用を述べてきたが、これはとにかく実践によって得なければ画餅にすぎない。
 禅の修行は、一にも二にも三にも実行であり、何よりも坐禅の実修である。
この点で新到の旧参のという区別はない。
古人もだから「われ二十年禅を学んで初めて羞を識れり」といい、又「仏祖も今に修行最中」と白状している。
 道元禅師の宗風の一つに
只管(すかん)打坐(たざ)を打出した「修証一如」というのがある。
これは、修がそのまま証であり、証が修であって、修を離れて証はないというものである。
 これは、到りえた境涯としては立派なものであるが、道眼の開かれていないものには、その宗旨の味はのみこめまい。だからこれは、先ず証というものを修から截断して正しく把握した後の工夫とすべきである。
 しかし逆に、証のみを目的とし坐禅の修というものを軽視するのは、真実の修行ではない。
 悟りを得ることが大事であるとしても、大悟徹底した者が大機大用を行じる上において、山を下りて初心者と同じに坐禅を修するということは、又大いに仔細(しさい)のあることである。




白隠禅師自画像(松陰寺蔵)

禅の修行を志す者は誰でも、自らの坐禅を、初祖大師が少林寺において面壁九年を行じた先蹤の鏡に照してよくよく省すべきである。
 さてここで坐禅の実修について、初めて志をおこした方に、実際の坐禅の心掛けを述べておきたいが、その詳細は付録にある『坐禅儀』について工夫してもらうこととし、ここでは、それを読むための心の準備といったものを老婆心ながら書きとどめよう。
 その第一は、坐禅の目的である。坐禅をしょうと
する人の目的は人によって千差万別であり、多くの、同じ人でも時と場合によって違う。
或る人は不眠症や神経衰弱をなおすために坐禅をしようとす
る。
又或る人は、いざという瀬戸際に平常心を失わず、生死の関頭にたってたじろがないように坐禅をする。
或る人は又茶道や剣道や書道その他の芸道において技が神に入ってその奥義を究めるために坐禅をする、というように、人によっていろいろその目的が違うのである。
 これらの目的は、それぞれ決して間違っているわけではないが、祖師禅という上から第一義的にみると、それらが究極において、道というものに結びつき、道に裏付けられ、道に対する志から発するということにならなければほんとうのものになるとはいえないのである。
 そうでない場合には、坐禅は自分が生きるための方便であり技術であって、根本の人間の生そのものの
真理(・・)を明らかにし、自己の根源を把握する道とはなりえない。
 つまり、真の坐禅の修行というものは、自己その
ものを根源にさかのぼって照明し、その本来の面目を明らかにし、心底から納得できるほんとうの生き甲斐をかみしめ、人間として生きることのよろこびにみたされて正しく・楽しく・仲のよい世界楽土を建設してゆくための道である。
 だからそのような根源的な意味を含まない坐禅は、たしかに一つの修養にはちがいないが、結局は一時の情緒的な満足を出でないのである。
(白隠禅師坐禅和讃新講、おくがき―白田劫石 述 人間禅叢書第6編
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応々といへど敲(たた)くや雪の門去来禅者芭蕉読本

 芭蕉総合年表によれば、宗房(芭蕉)は寛文12年(1672)春、29歳の時に江戸に下り、二年後の春、延宝2年(1674)に伊賀上野へ初の帰郷をしている。 

この年は各地で風水害により大凶作の記述もある。

翌年の延宝3年(芭蕉32歳)、江戸来遊中の西山宗因歓迎百韻で始めて桃青の俳号を使用。同年、杉風其角嵐蘭が入門、江戸蕉門誕生が想定されている。

同年6月、伊賀上野に二度目の帰郷。7月2日まで滞在して、桃印(甥)を同伴して江戸にもどる。

7月、花樂軒蝶々子編「当世男<いまようおとこ>」に発句3句、付け句3句入集。

12月、北村季吟編「続連珠」に松尾氏本住伊賀、号宗房桃青として6句、付け句4句入集。

延宝5年(1677年、34歳)この頃、俳諧宗匠として立机

以後四年間、水道工事監督に従事。
 同年11月10日、去来、父、墓参のため真如苑からの帰路、農夫を襲った猪を一刀のもとに斬殺。とある。

http://nagoyazen.ningenzen.jp/uploads/ckeditor/images/20171010102005.jpg

応々といへど敲(たた)くや雪の門 向井去来




去来については日本歴史大辞典で次のように紹介している。
向井去来(1651慶安4年1704元禄17年芭蕉より8歳年下、行年53.
江戸中期の俳諧師、儒医向井元升の次男として肥前国(長崎)に生まれた、堂上家に仕え武芸に優れていたが、若くして武士の身分を捨てた。
25歳の時に京都に上り、主として兄元端の医業の補助した。京都嵯峨野落柿舎に住んだ。(後に芭蕉はここで嵯峨日記を執筆した。)

1684年(貞亨元)頃から芭蕉風の俳諧に近づき、1691年(元禄4)には同門の野沢凡兆とともに芭蕉の指導の下に「猿蓑」を編集刊行して、西日本における蕉門の代表的作者と目されるようになった。この頃、西国三十三カ所俳諧奉行と綽名された。
師の没後には「奥の細道」を刊行して後世に伝えるとともに、「旅寝論」「去来抄」などを著述して芭蕉の立場や思想を作品に即して具体的に説明した。
その生育した環境から和漢の古典に関する教養にめぐまれていたので、優れた蕉風解説になりえている。(上野洋三ー日本歴史大辞典)


(三重四日市禅会俳句部)


 

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