メインメニュー
ブログ カレンダー
« « 2017 9月 » »
27 28 29 30 31 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリ一覧

ブログ - 最新エントリー


長らく在庫ゼロが続いた『般若心経講話』の第3版の印刷が完了して市川市の本部道場に届きました。購入希望者は、支部長禅会長にお伝え頂き、支部禅会まとめての購入をお願い申し上げます。支部長禅会長には、その旨、昨日、メールで案内をいたしました。(久保田鉄漢)

1.題名 『般若心経講話』第3版
2.著者 耕雲庵立田英山老師
3.定価 1000円
4.発行所 人間禅 
5.取り扱い 耕雲塾(KUJ)出版部
6.体裁:B5版 表紙とも87頁 
7.支部禅会への売価 800円
8.一般への売価 1000円

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (0)

 


http://nagoya.ningenzen.jp/uploads/ckeditor/images/20170917072728image001.jpgクリック頂くと詳細がご覧になれます。                       
 

/29()13時〜16:30(予定)
 

場所:岐阜大野9752 

人間禅岐阜洞戸(旧東海)坐禅道場


講師:玉風禅子(オール東海)
 

はじめての方大歓迎!!
http://nagoya.ningenzen.jp/uploads/ckeditor/images/20170917072728image002.jpg

クルマでの交通案内ー東海北陸道 美濃インター下車20分または岐阜市街から256号線北へ40分
カーナビで・・・目的地「人間禅岐阜洞戸(旧東海)坐禅道場」またはTEL:0581-58^
7014で検索下さい。


 

●申込、お問い合わせ先

渡辺玉蘭:携帯080-1606-9677

Eメール:gyokuran1106@gmail.com

 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (6)

人間禅東海(オール東海)摂心会参禅会29年度後期スケジュール



         名古屋支部第8回   1019(木)~1022(日)短期願王寺
         三重四日市座禅会  1119
         豊橋禅会第3回    1129(水)~123(日) 短期金西寺
         東海新年互礼会 16(土)~17(日)    願王寺
         岐阜禅会第3回    117(水)~121(日)  短期洞戸
         名古屋支部第9回   215(木)~218(日) 短期願王寺
         岐阜禅会第4回    228(水)~34(日)  短期洞戸
         三重四日市座禅会  317(土)~318(日)一泊参禅会                                                        
         豊橋禅会第4回    411(水)~415(日)  短期金西寺

 

   
                                                                          疑問お尋ねのあるかたはオール東海事務局 蓑輪清稟(みのわせいりん)名古屋禅道場長(人間禅名古屋支部長)まで、お気軽にどうぞ 

蓑輪 :携帯090-1560-6881 E-mail seirin1105@gmail.com


 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (9)

 

 謹啓

時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

さて、昨年度に擇木道場で開講されました人間禅特命布教師である慧日庵笠倉玉溪老禅子による仏教講座の動画テキストにつきまして、今後は、下記のとおり、耕雲塾(KUJ)から販売することとなりました。

各位の勉強用はもちろんのこと、輔教師布教師勉強会や各支部禅会における布教用にも是非ご利用いただきたく、ご購入のほど、よろしく御願い申し上げます。

末筆ながら、会員各位のご自愛ご発展のほどお祈り申し上げますとともに、今後ともご高配賜りますようよろしく御願い申し上げます。

謹白

耕雲塾(KUJ)

理事長佐瀬長和

 

 販売対象タイトル
  

   
  

価格
       
  

   
  

個数
       
  

第1回~第3回セット
  

1回釈尊の悟りまでの道程と悟りの内容
  

第2回釈尊の死までを辿る「涅槃経」
  

第3回釈尊の死最後の説法「遺教経」を読む 
  

   
  

8,000/セット
       
  

   
  

セット
       
  

第4回~第6回セット
  

第4回大乗仏教の成立「龍樹」の思想を学ぶ
  

第5回「華厳経」を読む「一一の微塵の中に一切の法界あり」
  

第6回「華厳経」を読む「宮沢賢治インドラの箱」事事無礙法界
  

   
  

7,000/セット
       
  

   
  

セット
       
  

1回~第6回セット
  
  

  

   
  

15,000/セット
       
  

   
  

セット
     
  


 
 
 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (11)

夢遊禅子 講演「ドリームマップと禅」

自分を見つめ、主体的に生きるチカラを育む注目のツール


                 
  
ドリームアップ」とは;

2002年誕生以来、小学校の現場から社員研修まで、名古屋から全国に広がって、5才から96歳まで、6万人以上が受講している夢(目標)達成ツールのことです。
 写真や雑誌の切り抜きを使って楽しく作業しながら自分を見つめ、自分のミッション(使命―命の使い方)を明確にして行動におとしこんでいきます。
コーチング理論やNLP 心理学を踏まえた自己分析を自然な形で行っていくので、自分の夢が認識でき、出来上がると漠然としていた自分の未来が海洋図のようにはっきりと見え、希望と自信をもって行動につながっていくのです。
根本の目標はワクワク出来る未来を描くことによって「主体的に生きるチカラをはぐくむことなのです」。
見えない未来への恐れや何かにつけぐらぐらする自己の自信のなさは、ほとんどが自分が自分自身にかけたこだわりや幻想です。禅はそうした念慮にこだわらず、自然体の自分を取り戻す実践です。それは主体的に生きることそのものです、その点、ドリームマップの理念とはもともと軌を一にするものなのです。



*三輪裕子氏 一般社団法人ドリームマップ普及協会事務局長兼副代表理事。
<研修・講座>企業の教育研修、若年層・女性など様々な年代層を対象にしたモチベーションアップ講座、大学のキャリアデザインの授業での講座、教員向け講座、教育委員会で教員向け研修講座など多岐に亘る。禅修行における道号は「夢遊」。
 

 
 

10月21日(土)


【時間】  <受付>午後 2:00  講演と質疑応答

          午後2:30~4:15
 

     <座禅>午後 4:30~6:00 

            
(老師とお話する時間含む) *途中退席可

  【費用】 500円 初めて座禅をされる方は指導料とし

て別途
 500 円(テキスト代含)。

  【場所】名古屋市中小田井 善光寺別院


 願王寺
書院明光閣

【連絡先】申込、お問い合わせ先


広瀬 :携帯090-4250-0542

蓑輪 :携帯090-1560-6881 


E-mail 
seirin1105@gmail.com


http://nagoyazen.ningenzen.jp/uploads/ckeditor/images/20170616114117.png

 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (11)
             
 
 

  松尾芭蕉像(葛飾北斎画)    

  

深川大工町臨川庵で仏頂禅師に参禅、禅者芭蕉読本⑪
  

芭蕉の師、仏頂禅師
  

仏頂禅師は、寛永19(1642)常陸国に生まれ、8歳で冷山和尚の鹿島根本寺(茨城県)に入り禅門の道を歩みはじめた。

明暦元年(1655)14歳の春に、諸国の名僧との出合いを求めて旅に出、延宝2年(1674)33歳の時に冷山和尚から根本寺を受け継ぎ、二十一世住職に就任した。
  当時、徳川家康によって寄進された根本寺の寺領50石が鹿島神宮に取り上げられていたが、これを不服とした禅師は、就任を機に寺社奉行に訴え出た。

この時の江戸の仮住まいとなったのが、承応2年(1653)に冷山和尚が結んだ深川大工町の臨川(りんせん)庵であった。
  訴えから7年を経た天和2年(1682)41歳のときに勝訴で解決を見ることとなったが、禅師は寺領が返還されたのちに頑極和尚に住職の座を譲り、根本寺を離れた。
  禅師は、元禄8年(1695)臨川庵を寺とするため幕府に請願し、18年後の正徳3年(1713)、「臨済宗妙心寺派瑞甕山臨川寺」の山号寺号が許可された。
これが現在の深川臨川寺の創始である。
  

芭蕉参禅の契機と仏頂禅師
  

芭蕉が江戸市中から深川の草庵に移ったのが延宝8年(1680)の冬で、このころ仏頂禅師は、鹿島神社との係争で江戸に出て臨川庵に仮住まいをしていた。芭蕉は深川に住んで間もないころに禅師と運命的な出会いをし、川向うの臨川庵に参禅する日々を送った。
  臨川庵の境内に建つ「芭蕉由緒の碑」に「抑此臨川寺は、むかし仏頂禅師東都に錫をとどめ給ひし旧地也。その頃ばせを翁深川に世を遁れて、朝暮に来往ありし参禅の道場也とぞ。」とあり、

熱心に参禅する芭蕉の様子がうかがえる。

禅師との江戸での交渉期間は、世上では禅師が係争に勝訴するまでの約1年半ほどの間と思われているが、芭蕉の参禅はこのあと師の印可証明を受けるまで、禅師のあとを追って、各地でおこなわれた。という。(人間禅四国道場所蔵文書)。
この参禅を契機にして、芭蕉の作風に「佗」の詩情が色濃く投影されるようになっていく。
最初の江戸滞在からまもなく、貞亨4年(1687)8月14日、芭蕉は、曽良、宗波とともに鹿島に旅し、根本寺山内に閑居する仏頂禅師とともに、観月のひと時を過ごした

  

「鹿島紀行」には、はるばる月を見に来たのに、月の光、雨の音といった情景がしみじみと心に感じられ、句を案じることができないなどの心情とともに、月見をした当日の様子が書き記されている。
  

昼頃より雨しきりに降り、月みるべくもあらず。
  

麓に根本寺の先の和尚、今は世をのがれて、此処におわしけると云うを聞きて、尋ね入りて臥せぬ。
  

すこぶる人をして深省を発せしむと吟じけん、しばらく清浄の心を得るに似たり。
  

暁の空いささか晴れ間ありけるを、和尚起こし驚かし侍れば、人々起き出でぬ。
  

月の光、雨の音、只あはれなるけしきのみ胸に満ちて、いふべきことの葉もなし。
  

はるばると月見に来たる甲斐なきこそ、本意(ほい)なきわざなれ、かの何某(なにがし)の女すら、時鳥(ほととぎす)の歌えよまで帰りわづらひしも、我がためにはよき荷担の人ならんかし。
  

おりおりにかはらぬ空の月かげも
  

 ちち“のながめは雲のまにまに  和尚
  

月はやし梢は雨を持ながら      桃青
  

寺にねてまことがほなる月見かな   桃青
  

雨にねて竹おきかへる月見かな    曾良
  

月さびし堂の軒端の雨しづく       宗波
  

(鹿島紀行)


(みえ四日市禅会俳句部)

  

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (13)
江戸での宗房・桃青、禅者芭蕉読本⑩

徳川家康が天正15年(1590)に関東に入府し、文禄3年(1594)に江戸隅田川に千住大橋を架橋した。
その78年後の寛文12年(1672)、まだ新興の都会であったであろう江戸に下った29歳の宗房(芭蕉)の目的は、当時の江戸の俳壇に進出を考えたとするより、後年の述懐「一たびは士官懸命の地をうらやみ」とあるところから、その目的は立志士官であった、とする説が有力である。

 


与謝蕪村画「芭蕉翁」


当初、江戸のどこで生活をはじめたのかは定かになっていないが、後に日本橋本小田原町の魚問屋の息子、杉山杉風らとの深い交流がうまれるので、彼らの庇護のもとにあったのではと考えられている。


芭蕉の出家について、俳諧関連の文献としては、杉風四世採茶庵梅人が「杉風秘記抜書」として引用した「松尾甚四郎殿伊賀よりはじめ此方へ被落着候。剃髪して素宣と改められ候時、衣更着は十徳をこそ申すなれ 杉風 斯く申しおくりぬ。」との記事が伝えられているが、「杉風秘記」の確実性は現在立証されていないので諸説言われている。
剃髪出家の次第はともかく、仏頂禅師のもとでの、禅修行の経緯は現在、人間禅四国道場(高知市)蔵書の中で、仏頂禅師側から記録した芭蕉翁臨済宗修行の全経過詳細が年賦と共に記載、記録されている。

一巷間伝えられている仏頂禅師との交流は次のようである。(次回へ)


 
この時代の伊賀上野、江戸、松尾宗房(芭蕉)に関わる年賦
 
1581(天正9)織田信雄4万2千の軍が9・27に侵入、伊賀軍約1ケ月で敗退。
1590(天正15)徳川家康関東入府。
1594(文禄3)家康、江戸隅田川に千住大橋架橋。
1608(慶長13)徳川家康、藤堂高虎を伊予より
伊賀上野へ移封
1615(慶長20)大阪城落城、秀頼(23)、淀君(49)ら自害。
1616(慶長21)家康死去(74歳)
1620(元和6)江戸、神田川を堀り割る。
1623(元和9)家光3代将軍に就く。
1630(寛永7)藤堂高虎死去(75歳)
1632(寛永9)秀忠死去(54歳)。
1634(寛永11)伊賀上野鍵屋の辻で荒木又衛門仇討事件。(甥の復讐に成功)
1642(寛永19)仏頂和尚、常陸国に生まれる。
1644(寛永21)松尾芭蕉 伊賀上野赤坂町に第三子次男として生まれる。月日不祥、幼名金作
1647(正保4)杉山杉風江戸日本橋本小田原町魚問屋杉山賢永長男として誕生。
1651(慶安4)門弟向井去来、長崎に生まれる
1653(承応2)鹿島の冷山和尚、深川臨川庵を開く。

1656(明暦2)父・与左衛門死去、享年不祥。
1662(寛文2)(19歳)藤堂新七郎家嗣子・主計良忠に出仕。
1666(寛文6)(芭蕉23歳)主君藤堂良忠(蝉吟)死去。以後、6年間の仔細不明。(この頃、1説によると甥桃印の父死去?)
1667(寛文7)(24歳)「続山井」に伊賀上野松尾宗房の名で発句8句、付け句3句入集。
1669(寛文9)(26歳)「如意宝珠」荻野安静編、に伊賀上野宗房名で6句入集。
1670(寛文10)(27歳)「大和順礼」岡村正辰編、に伊賀上野住宗房名で発句2句入集。
1672(寛文2)(29歳)「貝おほひ」を伊賀上野菅原神社に奉納。

1672(寛文12)(29歳)江戸に下る

1674(延宝2)(31歳)伊賀上野へ初の帰郷

1675(延宝3)(32歳)西山宗因江戸来遊歓迎百韻にて、初めて桃青の俳号使用。

杉風・其角・嵐蘭ら入門。(江戸蕉門誕生?)
1680(延宝8)(37歳)冬、芭蕉市中から深川の草庵に移る。

 

以上「芭蕉総合年表」等より抜粋)

        

                 (みえ四日市禅会俳句部)

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (11)

寂滅(じゃくめつ)現前・・・座禅和讃新講㉝
 

(この)(とき)何をか求むべき    寂滅(じゃくめつ)現前する故に

当処便(すなわ)蓮華(れんげ)国      此の身即ち仏なり
 



「此時」とはどの時であるかといえば、修行に修行を重ね、十年二十年、三十年五十年と至誠を投じて、悟後の修行に骨を折って、正念工夫不断相続をつづけ大悟徹底の境涯に到ってみれば、ということである。


つまりは見性了々底の境涯である。
 そのときはどうなるかといえば、「寂滅現前する」という。


見性入理で悟ったピンも寂滅であれば、見性悟道も寂滅であるし、室内を透過し了って聖胎長養し、市街に出て泥をかぶるのも寂滅であるが、ここでの寂滅は【到り得 帰り来たって別事なし、()
(ざん)は煙雨 (せつ)(こう)(うしお)】という、悟り了って未だ悟らざるに等しいというキリの寂滅である。
 寂滅とは、もと涅槃の訳であるが、涅槃には有余(うよ)涅槃と無余涅槃(むよねはん)とある。


その無余の方である。


『碧録』に「()()成労(じょうろう)」という一則がある。
  あるとき坊さんが、(きょう)(りん)和尚のところへ来て問うた。


“如何なるかこれ祖師西来意?“印度からわざわざ達磨大師が中国にきた()()は何か?


つまり大法そのもの、それをお示し願いたい。


これに対して香林和尚は、一言“坐久成労“とこたえた。


「えらい長いこと坐って足がつかれたわい」というのである。


これこそ骨折り損のくたびれもうけというやつである。


別にそのほか何一つ特別なことは得てはいない。


これはどうも恐れ入った。


こういうところが寂滅現前である。
 禅語に【頭を挙ぐれば残照在り、元是れ住居の西】というのがあるが、ここを云ったもので、いかなる仏も顔をしかめ、魔も驚懼(きょうく)するのほかはない。
ありがたそうな信仰や悟りは、一滴を(きょ)がくに投ずるようなものである。
そこには毛ぶらいの悟ったという差汰がない。



『文珠所説摩訶般若』の中の【清浄の行者涅槃に入らず 破戒の比丘(びく)地獄に堕(だ)せず】に対して、白隠老漢がおいた偈頌に次のものがある。
【閑蟻争い引く(せいてい)の翼、新(えん)並び(いこ)う楊柳の枝、山婦は藍(らん)を携えて寀色多く、村童は(じゅん)(たかんな)を偸(ぬす)んで疏籬(そり)を折る。】
 ここで青というのはとんぼのことであり、筍とはたけのこで、疏籬とは、垣根である。
 丁度、庵(いおり)でいい気持ちで居眠りをしている庵主をわざわざゆすり起こして、門前の小僧がたけのこを盗んでゆくぞ と、告げ知らせてやっているようすである。


 
(白隠禅師坐禅和讃新講―白田劫石 述 「第4段(1) (この)(とき)何をか求むべき 寂滅(じゃくめつ)現前する故に 


ー人間禅叢書第6編 文責 豊橋禅会IT担当 田中宗晃)
 

 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (12)

岡山禅会(第14回)壮年部合同摂心会ご報告

830日(水)~93日(日) まで、人間禅岡山道場にて第14回岡山禅会壮年部合同の摂心会を行いました。
名古屋岐阜関西神戸広島四国豊前の各支部禅会の応援を頂き、無魔円了することができました。(田中義珍)





 
 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (10)
支店長の儲け・宗演禅師菜根譚講話(十七)


世に處(しょ)するには、一歩を譲るを高しと為(な)す。
歩を退(しりぞ)くは、則(すな)ち歩を進(すす)むる的(てき)の張本(ちょうほん)なり。
人を待つに一分(いちぶ)を寛(かん)にするは、是れ福なり。
人を利するは、実に己を利する的(てき)根基(こんき)なり。

 

 
 世の中を渡るには、決して、人と先を争うようであってはいけない。常に一歩を譲ってやる気づかいが肝要で、これが自己の人格を高くして、自然と人より高きにいることになる所以の道である。
 一歩を退くは、これは、とりもなおさず、一歩を進める張本である。
 張本とは、現代では「彼は××した張本人である。」くらいにしか使わないが、張本とは事の張本で、基礎、つまり土台の意味である。
 人を待つとは、人を待遇する、すなわち、他人と接することである。
 人と接する場合にはあまり厳酷にならず(失せず)、一分は寛大に、その人の自由に任せる。
 多少の私利を営む、自分中心の利己的な一面があっても大目に見てやって知らぬふりをしている。
 これがお互い幸せに至る道である。
 凡そ、人に利益を得させるということは、つまるところ、自己が利益を得る根基(こんき)、つまり、根本となるものである。


(資料写真)

 これは、小京都、岐阜で流行りのさる外食産業の会長を名乗るご仁から聞いた話であるが、人手不足で,支店で売る商品の調理手伝いから、客の接待まで、売上の大部分を左右する店員業務に臨時アルバイトばかり使う支店の支店長にはどんな人物を採用するのか?と聞いたのだが、いわゆる、堅い一方で、給料以外には、自分の腹を肥やすということが出来んような男は、間違いはないが、店の繁栄やノルマ以上の収益は望めない支店長である。
 正直、誠実、これは社会のどんな方面にあっても欠くべからざる第一要件であるが、必ずしも、自分の腹を肥やす者、自利に走る者はこの要件から外れたものというべきではない。
 私腹を肥やそう、自利が先ず第一と考えるくらいの男は、先ず、主人の店の繁栄を計る、発展に努力する。その後、同時に自己の繁栄、発展を計るので、これが世間一般、普通のことである。
 だから、主人たるもの大抵のことは部下を大目に見てやって素知らぬ顔でいる。
 たまたま、マニュアル通りに行かない事態に陥って、多少の損失を招いてしまっても、有能な支店長なら自分の懐から主人に内緒で弁済しておくくらいのことはやっておく。
 かような機転の利く有能の支店長なら過大な損失を蒙るようなことは滅多にないものであると。
大綱を持して、全体をよく見まわして、あまりコセツカズ、有能な者を撰び、信じて任せておく、これが主人たる者の心懸け、役目である。
若しも、監督、支店長があまりにコセツキ、厳酷(げんこくー酷く厳しい)に渉ると、自分にも儲けが出ないし、受持つ店の成績も上がらないと会長はいう。
なるほど、それはそうでしょう。
支店長や支配人は主人の店を土台に、利用して自己の取り分を儲ける。
主人は、また、支店長、支配人の才能を利用して店の繁栄を計る。
互いに、まず、他に与えておいて、自ら取ろうとする。
これで社会は円満に行くのである。
つまるところ「有ればやろう、無ければ貰おう」の精神でもあります。
 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (14)